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11月1日に三ツ沢公園で行われた第64回横浜市戦没者追悼式の様子は?

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11月1日(日)に行われた第64回横浜市戦没者追悼式の様子がキニナル(はまれぽ編集部のキニナル)

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毎年11月1日、三ツ沢公園で行われている横浜市戦没者追悼式。2015年も林市長を始め多くの要人が集合し、平和への誓いを新たにした。

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ライター:松崎 辰彦

三ツ沢公園の慰霊塔



横浜市神奈川区にある三ツ沢公園。そこには2本の傾斜した、不思議な形をした塔が立っている。

 

三ツ沢公園にある戦没者慰霊塔
 

「昭和二十年」と記された短い塔の頂は、あたかも塔が自らの重みに堪えかねて折れたようにギザギザに欠けている。それに長い塔が寄り添うように、こちらは整った形で伸びている。

 

混乱と希望を表している
 

短い塔の荒々しい断面は、アクシデントで折れた結果と思っている人も、あるいは少なくないであろうか。しかし、1953(昭和28)年に竣工したとき、すでにこのふたつの塔は現在と同じ姿であった。

そしてこの不思議な2本の塔は、毎年行われる「横浜市戦没者追悼式」を60年以上にわたり、見守ってきたのである。



厳かに行われた追悼式



毎年11月1日、この三ツ沢公園にある横浜市戦没者慰霊塔では「横浜市戦没者追悼式」が開催されている。2015(平成27)年も例年通り行われ、林文子市長ほか横浜市会議長、遺族会会長、各区区長そして遺族の方々が参列するなか、厳かにとりおこなわれた。

 

 

 

横浜市各区から人々が集まった
 

消防音楽隊が伴奏する
 

午前11時。神奈川区三ツ沢西町にある三ツ沢公園で、第64回横浜市戦没者追悼式が開会した。
横浜市健康福祉局長が「開式の辞」を述べる。

 

「開式の辞」を述べる
 

そして国歌斉唱。みな厳かに『君が代』を唱和する。

そしてこの式典の主催者でもある林市長が「式辞」を読み上げる。訥々(とつとつ)とした口調で、過去の惨禍を回顧し、未来への希望を滲ませる内容であった。

「先の大戦をはじめとする幾多の戦火により、かけがえのない命を失われた方々の御霊に371万人の横浜市民を代表し、謹んで哀悼のまことを捧げます。先の大戦の終結から70年という年月が流れました」

「御霊は生まれ育った故郷にご家族を残し、遠く離れた戦地に向かわれ、過酷な状況を耐え、ついに戻ることなく一命を捧げられました。戦火の犠牲となられた方々の最愛の家族への思い、祖国への思い、ご心情やご無念を思いますと、今なお尽きることのない悲しみが胸に迫って参ります」

「そしてご遺族の皆様に置かれましては、決して癒えることのない悲しみを抱えながら、戦中戦後の苦難を耐え、一歩いっぽ、前に歩んでこられました。そのご努力に改めて敬意を表します」

 

式辞を述べる林文子市長
 

現在の日本人が享受している平和・繁栄は、まことに多くの犠牲の上に得られたものである。そのことを決して忘れてはならない。

「しかしながら世界の国々では、今なお戦争やテロ行為が繰り返され、子どもたちをはじめ多くの人々が苦しんでいます。1日も早く、真の世界平和を切に願ってやみません。そして、70年という月日を経て、戦後に生まれた世代が大半を占める今こそ、私たちは戦争の悲惨な記憶と教訓に真摯に向き合い、確実に次の世代に語り継いでいかなければなりません」

いまだ世界は平和からほど遠い。日本では70年前に終わった戦争だが、世界各地ではいまだに多くの人が紛争やテロに巻き込まれている。真の平和が訪れるのはいつなのか。

 

慰霊塔は歴史を見守ってきた
 

「戦没者の方々、ご家族の方々の生きることへの思い、平和への思いを改めて心に刻み、今と未来を生きる世代が安心して暮らせる社会、そして恒久平和の実現に向けて力を尽くして参ります」

林市長の式辞が終わる。そして一分間の黙祷。



日本人は焦土から立ち上がった



次に横浜市会議長、横浜市遺族会会長、そして神奈川県知事が「追悼の辞」を述べる。

横浜市会議長の梶村充(かじむら・みつる)氏。
「先の大戦が終わり70年もの歳月が立ちました。熾烈を極めた闘いの中で多くの方々が戦場に散り、戦果に倒れ、あるいは戦後遠い異境の地でなくなり、貴い命がなくなられたことは、深い悲しみであります」

「私たちはこの戦争の惨禍を二度と繰り返さないため、教訓として深く心に刻むとともに、あの凄惨な歴史を決して風化させることのないよう、次世代に継承していかなければなりません」

「横浜市民とともに戦没者の御霊がとこしえにやすらかならんことをお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆様のご健勝とご多幸を心からご記念申し上げて追悼の言葉といたします」

 

梶村充氏
 

横浜市遺族会会長の皆川健一氏。
「先の大戦において自らの身をもって困難に立ち向かい、祖国の発展と平和を願い愛する家族の行く末を案じつつ、亡くなられた幾多の戦没者のご無念を思うとき、今なお悲痛の念が胸に迫りくるのを禁じ得ません」

「私たちはかけがえのない肉親を失い、尽きることのない深い悲しみに堪えながらも、焦土の中から立ち上がり、互いに励まし合い、助け合いがなら多くの困難を乗り越えて、今日の平和と繁栄を築いて参りました。しかし今日私たちが享受している平和と反映が、戦没者の皆様の貴い犠牲の上に築かれたものであることを決して忘れることはありません」

父親と叔父を戦争で亡くしたという皆川氏。遺族ならではの切実な思いがあふれた言葉であった。

 

皆川健一氏
 

神奈川県知事の黒岩祐治氏からの言葉が使者の方により代読される。

 

黒岩知事の言葉が代読される
 

「第64回横浜市戦没者追悼式にあたり、神奈川県民を代表して謹んで追悼の言葉を申し上げます」

「戦争体験の風化が危惧される今、昨年度は沖縄県の摩文仁(マブニ)の丘にある本県の戦没者を追悼する『神奈川の塔』が、遺族の皆様を始め、県民の皆様の寄付などによるご協力を賜り、無事に老朽化による改修工事を完了することができました。皆様からの『神奈川の塔』の保存継承に対する思いを、重く受け止め、引き続き戦争の悲惨さと平和の尊さを、未来をになう次の世代へ着実に継承していくことを固くお誓い申し上げます」

「この6月には2020年のオリンピック東京大会のセーリング競技が江の島で開催されることが決定しました。平和でよりよい世界の実現に貢献する神奈川の姿を世界に発信してまいります」

神奈川県知事として、過去を振り返り、同時に未来をも力強く展望した言葉であった。



戦争体験をいかに継承するかが問われている



そして献花が行われる。横浜市長が初めに白い花を御霊に捧げ、そのあと来賓の方々、ご遺族代表、そしてご遺族と次々に花を手にして御霊に捧げる。

 

市長が献花を行う
 

感じられるのは、やはりご遺族の高齢化。70年という歳月を思わずにはいられない。戦争体験をいかに継承するかが、今まさに問われている。

 

 

 

参列者全員が献花を行う
 

そして健康福祉局長による「閉式の辞」があり、約1時間の式典が終了した。

塔の裏手にあるのが慰霊塔安置室。ここに多くの御霊の位牌や名簿が安置されている。毎年11月1日に開放され、多くの人が御霊に祈りを捧げる。

 

塔の裏にある安置室
 

 

多くの御霊の位牌が安置されている
 

御霊は生きている私たちに何を伝えようとするのか──暗くせまい部屋に、言葉にならぬ思いが立ち込めている。