日本で初めてシウマイを販売した伊勢佐木町「博雅亭」。以降100年以上続く伝統の味は?
ココがキニナル!
「博雅」のシウマイは横浜高島屋で売っていたが今はない。今どうなってる?(シャケさん)伊勢佐木町から離れた経緯は?(とびちゃんさん)崎陽軒と博雅「シウマイ」と言ったのはどっちが先?(三ッ沢さん)
はまれぽ調査結果!
2009年横浜タカシマヤを離れ、神奈川区神大寺で製造販売されている「シウマイ」は伊勢佐木町「博雅亭」から続く伝統の味を今日に継承している
ライター:永田 ミナミ
博雅のシウマイとは
現在は神奈川区神大寺にある「博雅(はくが)のシウマイ」。「博雅」と聞いて「お、あの」と思う人は多いだろう。
店頭にはためく幟には「ヨコハマ野毛博雅」の文字
博雅について寄せられた3つの投稿を整理してみると・・・
日本で最初にシウマイを店頭販売した伊勢佐木町の「博雅亭」は、伊勢佐木町から離れ、横浜タカシマヤで販売していたがその店舗も現在はない。と思ったら神大寺2丁目に復活していて、やはり絶品のシウマイを販売しているのはどういう経緯なのだろう。そういえば博雅ともうひとつの名店、崎陽軒もともに表記が「シュウマイ」あるいは「シューマイ」ではなく「シウマイ」だが、歴史的にどちらが先だったのだろう。
ということになるだろうか。
と思ったら歴史についてはさっそく店頭の説明で概要を把握できた *クリックで拡大
そしてその隣で紹介されているシウマイ以外のメニューも目に入ってしかたがない
ふむふむ、と店頭の説明を読んだり外観を撮影したりしていると「どうも、お待ちしてました」と外に出てきて声をかけてくれたのは、株式会社博雅の専務取締役、山田勤(やまだ・つとむ)さんだった。
気さくな山田さんに誘われ「今日はよろしくお願いします」と店内へ
そして、製造を担当している彭慧華(ポンフェファ)さんを紹介してくれた
というわけでポンさんも交えて話を伺うことに。ポンさんは横浜タカシマヤ の 「ヨコハマ博雅」で働いていた時代にそのすぐれた腕と味覚を見込まれて、前工場長からすべてを任された人である。現在は「博雅」の製造部門である「ポン・コーポレーション」の社長も務めている。
「私の名前は漢字が難しいから」と直接書いてくれる優しいポンさん
博雅史探訪
さて、歴史をまとめてみると、1881(明治14)年に中国広東省出身の鮑棠(バオ・タン)氏が横浜山下町の外国人居留地に「博雅亭」を開店したところから始まる。その後、居留地が廃止された1899(明治32)年、伊勢佐木町に進出した「博雅亭」は、「焼売」の店頭販売を開始。これが日本における「焼売」の製造販売の最初である。
その後、2代目の鮑博公(バオ・ボオゴン)氏が試行錯誤を重ね、1922(大正11)年に 豚肉に北海道産の乾燥貝柱と車海老を加えた「シウマイ」を完成させると、すぐに評判となった。
「博雅亭」については伊勢佐木町の歴史をまとめた『OLD but NEW』にも詳しい
1966年発行の『横浜市中区商業名鑑』には「博雅亭」の場所と名前が載っている(横浜市中央図書館提供)*クリックで拡大
一方で、鮑博公(バオ・ボオゴン)氏の義弟が「博雅亭」の姉妹店として野毛に「博雅茶郷(さごう)」を開店、「野毛博雅」と呼ばれ親しまれるようになる。「博雅茶郷」は1959(昭和34)年に横浜タカシマヤからの依頼を受けて開店と同時に出店。このときに高島屋で販売する商品のブランド名を「ヨコハマ博雅」とした。
山田さんは、横浜タカシマヤ時代から製造販売に携わってきた人である
「ヨコハマ博雅」のシウマイはすぐに評判となり、横浜タカシマヤでの販売が多忙となったことから「博雅茶郷」の閉店 を決断。また生産量を増やすべく保土ケ谷に工場をつくり機械での生産も開始した。この延長線上にが現在の「博雅」が存在する。
山田さんは「博雅茶郷」は「野毛の川沿い」にあったということしか分からないということだったが、現在の「博雅」のルーツでもあるし、野毛のことならあの人に聞けば分かるかもしれない、と後日「博雅茶郷」跡を探しに出かけてみた。
野毛の歴史を調べたときに大変お世話になった天保堂苅部書店の苅部正(かるべ・ただし) さんである
「ご無沙汰してます」と挨拶をして要件を話すと「よし、それじゃあ散歩に行こうか」と案内してくださった。
そしてここ、都橋交番の真向かいが、かつて「博雅茶郷」があった場所である
室外機がある場所から左隣の建物にかけて1間半(約2.7メートル)ほどの間口だったそう
さらにそのまま苅部さんは、すぐ近くのこちらも野毛の歴史を調べたときに話を伺った「三河屋」の暖簾をくぐって「あそこの博雅があったのはいつごろまでだっけね」と聞いてくださった。そして昔馴染みならではの年齢や学年を手がかりに2人で話し合いながら、おそらく1970(昭和45)年ごろに閉店したという話になった。
ちなみに1966(昭和41)年発行の『横浜市中区商業名鑑』の「野毛地区」のところに「博雅茶郷」の名前はなかったので、閉店時期はさらに1965(昭和40)年ごろまでさかのぼることができそうだ。
それから50年、博雅の息吹はここ神大寺に受け継がれている