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南区「中里町」が7世帯しかないのに「町」なのはなぜ?

ココがキニナル!

南区にある「中里町」。横浜市の最新データによると世帯数は7世帯。隣接の中里3丁目や弘明寺町に統合されずに残っている理由は?歴史的背景があるの?なぜ中里「町」なのか?調査を!(メガネさん、ねこみくさん)

はまれぽ調査結果!

1975年の住居表示施行の際に周辺の町に再編されずそのまま残ったから「中里町」のままに。理由は再編を希望しなかったためという可能性が高い

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ライター:はまれぽ編集部

7世帯しかない町。想像するのは過疎化の進んだ小さな町だが、投稿にあったのは南区中里町。下町風情ある住宅街というイメージだったため「7世帯」という少なさに目を疑った。
 


確かに7世帯しかない

 
過去にはまれぽでは中里3丁目の「中里旅館」や、中里1丁目にあるもうすぐ閉館になってしまうスポーツクラブ「サンウェイ」などに、突撃し、取材したが「中里町」の記事は1つもない。

投稿者のいうとおり、ほかの町と統合する機会はなかったのか。また7世帯しかないことで住民は何か困ったり得をしたりしているのだろうか。

まず7世帯のみの町になってしまった背景を伺いに横浜市市民局窓口サービス課へ伺った。
 


何が理由なのか

 


地番と住居表示



「今回、取材いただくにあたって歴史的背景があるかどうか、調査しましたが確実な“理由”は見当たらず、あくまで“推測”になります」

と前置きをしたうえで対応してくださったのは横浜市市民局窓口サービス課担当係長、関弥生子(せき・ようこ)さんと横浜市市民局窓口サービス課住居表示担当の武内幸大(たけうち・こうた)さん。
 


武内さん(左)と関さん。気さくなお二人

 
なぜ、中里町には7世帯しかないのか。

それは「残ったまま」だから、というのが理由。というのも、以下の流れがあったから。

南区中里町周辺は1975(昭和50)年に今まで「地番」で住所を表示していたのを「住居表示」に変更。

地番、というのは国で決めている江戸時代ごろから脈々と受け継がれている「土地の管理用の番号」。不動産登記の際にはこの「地番」が用いられている(例:南区弘明寺1234など)。
 


明治以降国有地になったところは「無番地」。横浜スタジアムもしかり

 
対して「住居表示」というのは行政が決めた「所在地の表示」。地番によって大きく分けられていた区画を、道路や河川などに合わせて整理し、区画の中でさらに街区番号をふったものである(西区みなとみらい二丁目2番1号)。

「地番」を「住居表示」に変更する必要性をざっくり説明すると・・・。

地番は「筆」という土地の単位ごとにふられているので複数の区画ができ、建物が同じ地番内に存在することも起こりうるため、郵便物などが正しく送り先に届かないことがある。
 


横浜ランドマークタワーは階数ごとに郵便番号が違う

 
そこで、建物ごとに「所在地の表示」ができる「住居表示」を用いることによって、郵便などのサービスが円滑にいくように整理したそうだ。

中里町は、以前は今よりも広範な「中里町」の中に存在しており、1975年に住居表示に変えた際に周辺の「中里1丁目から4丁目」と「弘明寺町」のどれにもならず、そのまま残ったという経緯があるため、今のように7世帯のみとなってしまったらしい。
 


南区の町名一覧(『横浜の町名』より)
 

中里町はかなり小さい。面積は0.003平方km

 
武内さんは地図を見ながら「中里町の面積は南区内で1番小さいです」と説明してくださった。
 


1888(明治21)年創業の中里旅館は「中里3丁目」

 
なぜ、中里町が住居表示に変えなかったのか、横浜市に記録はないという。

地番から住居表示に変えるにあたっては住民が郵便サービスなどで「郵便物が届かない」などのトラブルがある地域のみ、と決められているので「いまの中里町はそれぞれの居住地が分かりやすい状態なので、不満の声もいただいていませんし、どこかと合併する予定は今後ないと思います」とのことだった。
 


住居表示に変われば郵便番号も変わる

 
「住居表示に変えない場合に住民の方が反対した、というケースもありますので可能性としてなくはないと思います」とも教えてくださった。

確かに、住居表示に変えたあとに身分証などの表記を変える手続きをするのは住民一人ひとりで、行政が代わってやることはできない。その手間を考えると「変えたくない」と思う人もいるのかもしれない。

関さん、武内さんありがとうございました。