川崎の昔ながらの醸造所「福來醤油」とは?
ココがキニナル!
川崎にも中原区に福来醤油さんがあるのですが、どんな醤油なのか、どこに卸していて、どこで買えるのかなど、取材頂けないでしょうか!? ほかにも県内には醤油の醸造所ってあるんですかね?(めんたるさん)
はまれぽ調査結果!
明治期創業の福來醤油は、地元のラーメン店などに卸し、日吉周辺の商店街で購入できる。福來醤油を使用したサブレなどもあった。
ライター:岡田 幸子
ボトルに浜菱(はまびし)を冠した「横浜醤油」は以前「はまれぽ」でもご紹介した通り、横浜市神奈川区にある醤油醸造販売を手がける企業。1937(昭和12)年の創業以来、横浜市内で唯一の醤油醸造所としてのれんを守っている。
対して、今回のキニナルにある「福來(ふくらい)醤油」があるのは川崎市中原区井田。
「横浜醤油」の筒井恭男(つつい・やすお)代表が3代目なら、「福來醤油」の三田喜久雄(みた・きくお)代表は5代目。明治時代から続く、伝統ある醤油醸造所なのだ。
創業120年あまり、戦後の再建からも既に60年以上!
キニナル「福來醤油」の歴史といま、そして神奈川の醤油醸造について調べてみよう。
明治初期の創業から120年以上! 伝統の製法を守る「福來醤油」
「福來醤油」の創業は明治時代の初め。当地がまだ「橘樹(たちばな)郡中原村井田」と呼ばれていた時代に遡る。一帯には農地が広がり、豊富できれいな地下水を生かして、農業のほかにソーメン作りも盛んだったという。
歴史と伝統をいまに伝える「福來醤油」(「福來醤油」HPより)
橘樹郡中原村周辺で稲作が盛んであったことは、以前「稲毛米」の記事でもご紹介した通り。学芸室博物館担当の村山翠(むらやま・みどり)さんによると、
「『天保十四年六月 橘樹郡村々農間商渡世取調書上帳(横浜市港北区網島 飯田助丸氏所蔵)』、『文政四年五月 橘樹郡長尾村明細帳(川崎市高津区長尾 井田太郎氏蔵)』などの資料を見ると、農間余業として、酒や醤油を作っていた所が多かったのは確かです」とのことだった。
「しょうゆ」300円程度、「めんつゆ」500円程度(価格は店舗で異なる)
醤油の起源としては、飛鳥時代に中国で作られていた「醤(ひしお)」が朝鮮半島経由で伝わったという説や、弥生時代に穀物と塩を甕(かめ)に貯蔵したことから生まれた説など、諸説がある。
室町時代である1597(慶長2)年刊行の日常用語事典である『易林本節用集(えきりんぼんせつようしゅう)』に「醤油・しょうゆう」などの言葉が掲載されていることからも、古くからかなり普及していたことが分かる。
今や日本人の食卓に欠かせない存在ですもの
そんな醤油が日本国内で本格的に生産されるようになったのは江戸時代。当初は主に関西で醸造され、廻船(かいせん)問屋によって輸送される「下(くだ)り醤油」が主流であった。しかし、大消費地・江戸のニーズを支えるために、千葉、埼玉、茨城、栃木、神奈川などで醤油醸造を生業とするものが多く生まれた。
大豆と麦、塩さえあれば作ることができる醤油は、古くは味噌同様に農家では自家用に小さな桶で作ることが当たり前。そのため、県内にも多くの醤油醸造者が存在し、「地酒」ならぬ「地醤油」が存在していたのだ。
ここ以外にも、県内各所に醤油醸造を行う醸造者が多数存在した
しかし、現在、神奈川県内で醤油醸造を行っているのは、今回調査した限りでは「横浜醤油」「福來醤油」に加えて、相模原市緑区大島の「井上醤油」、と中郡二宮町に一軒が残る程度。時代の流れとともに、多くの醸造元がその姿を消しているようだ。
相模原の「井上醤油」では、万能だし「つゆ子さん」も人気らしい
「福來醤油」も明治初頭の創業後、2つの世界大戦を経て操業を一時中断していたという。空襲により工場が焼け、道具のすべても失ったことによる。しかし、戦後に先代が7〜8年をかけて再建し、東京や横浜にまで販路を広げながら、現在までのれんを守ってきた。
毎年春と秋に仕込みを行い、約1年かけて熟成させる、昔ながらの伝統的製法での醤油作り、覗いてみよう。
「福來醤油」の醸造現場に突撃
「福來醤油」は、東急東横線「元住吉」駅と「日吉」駅の間に位置していて、どちらの駅からも徒歩にて15〜20分くらいの場所だ。
ここでーす。こっこここーっ!
「元住吉」駅西口から「ブレーメン通り商店街」と「井田中ノ町(いだなかのちょう)商栄会」を抜けて、「井田郵便局」の交差点を右折。県道14号線を渡った先の住宅街のなかにある。
「元住吉」駅西口から「ブレーメン通り商店街」を抜けた先の住宅街にあるのだが
はっきり言って初訪問で見つけるのは
困難かもです(実際迷った)
日本人なら誰もが食欲をそそられる醤油の香りに誘われて、「福來醤油」にお邪魔してみた。85歳になるという5代目代表三田さんは、近隣小学校の見学を受けている最中だ。
3年生の社会科見学だそうです
元気な3年生に混じって、一緒に工場内を見学させていただく。
「まずはこの釜で小麦を炒ります」
円筒形の釜には半分程度まで砂が入っていて、下からバーナーで熱するという。上から小麦を少しずつ入れ、2時間程度かけて炒るのだそうだ。
「続いてこちらが大豆を煮るタンクです」
ここに大豆と大量の水を入れてふたをし、ゆっくりと回転させながら1時間ほどかけて煮る。
ぐーるぐーる
「その後こちらの粉砕機で小麦を砕いて」
大豆と砕いた小麦を混ぜたものに、種麹を混ぜ合わせてから・・・
こちらの麹室へ
「入れた日は静かだけど、夜の間に麹菌が活躍を始めてね、翌朝には熱を発するようになるんです」と三田さん。そのままにすると熱が上がりすぎるので、随時かき混ぜながら、センサーと扇風機で室温を管理し、麹菌が活動しやすい25〜30度に保つという。
「3日間ほどかけて育てた麹は、塩水とともに桶へ」
「毎日この“カイ棒”でかき混ぜながら、約1年かけて熟成させるんです」
桶に入れたては塩水の上に麹が浮いた状態で、かき混ぜるのにも大変な力が必要だが、上下を返して混ぜながらおくうちに、徐々に麹が柔らかく馴染み、楽になるそうだ。黄色っぽかった液体がオレンジ色、茶色と少しずつ色を濃くし、醤油の良い香りが漂ってきたら熟成されてきたサイン。月に1度程度、少量の麹をとって舐めて味を確認する。
60年以上に渡り麹の息遣いを受け止めてきた桶蔵だ
熟成が完了したら“絞り舟”と呼ばれる木枠に布でくるんだもろみを入れ
圧力をかけて絞る。絞りきるのに3日ほどかかるそうだ
こうしてできた「生醤油」を5日ほどかけて煮切れば醤油の完成
煮切ることで味も香りもさらに良くなるという。
完成した醤油を子どもたちと一緒にお味見♪
雑味のないシンプルかつまろやかな味わいだ。「醤油って大豆からできてるんだなぁ」と再確認させてくれる風味が魅力となっている。敷地内に漂う醤油の香りに、子どもたちが「良いにおい〜♪」と、ひとなめして「おいし〜い!」と歓声をあげる姿に思わず目を細める。
老いも若きも、やっぱり醤油は日本人の心に触れる存在なのだなぁ
こうした一連の作業は、現在三田さんと実弟のお二人で行っている