わずか23年で廃校になった栄区の「県立豊田高校」。その理由は?
ココがキニナル!
栄区飯島町のわずか23年で廃校になった「県立豊田高等学校」。その後校舎は老人ホームなどに活用される事が多いのに豊田高校はなぜ再利用されず更地になったの?当時の高校の様子も含め知りたい(ねこみくさん)
はまれぽ調査結果!
神奈川県立豊田高校は1980年に開校し、その後23年間、横浜市栄区にあった。他校と統合し移転したが、跡地は雨水調整池などとして活用されている
ライター:松崎 辰彦
かつて「豊田高校」があった
投稿にある神奈川県立豊田(とよだ)高等学校は1980(昭和55)年に開校し、2003(平成15)年に神奈川県立汲沢(ぐみさわ)高等学校と再編・統合され、現在は戸塚区汲沢町(ぐみざわちょう)にある神奈川県立横浜桜陽(よこはまおうよう)高等学校として存続している学校である。
かつて栄区にあった県立豊田高校(フリー画像より)
「豊田」の名前はかつてこの地域一帯の名称であった「豊田村」にちなんでつけられたものとか。栄区には「豊田小学校」戸塚区には「豊田中学校」もある。1980(昭和55)年の時点で栄区の人口は10万人を突破し、その後も順調に区民数が増加した。豊田高校はこうした人口増なども背景に誕生した学校だった。
豊田高校として存在したのは23年という短い間であり、その間に6048名の卒業生を送り出した。クロスカントリー大会などユニークな学校行事が特徴で、「地球環境科学」「英語を楽しむ」「デッサン」などの自由選択を設けるなど個性ある教育を展開した。
個性的な教育を推進した豊田高校(提供:神奈川県教育委員会)
投稿では豊田高校当時の地所が再利用されず更地のままになっているとのことだが、その背景を探った。
豊田高校に行く
豊田高校は番地名で表せば「横浜市栄区飯島町178」に所在した。場所はJR根岸線の本郷台駅と大船駅の中間あたりで、大船駅から歩けばおよそ20分前後の位置。
栄区飯島町にあった豊田高校。道路を挟んで敷地が分かれていた(Google mapより)
見渡せば広い土地である。かつて道路をはさんで敷地が二つに分かれていた。校舎があった土地は面積約2万1000平方メートル。 グラウンドだった土地は約9600平方メートル。
グラウンドだった土地は現在、「豊田グランド」として一般市民のスポ-ツの場になっている。
取材日はサッカーなどが行われていた
校舎があった側の土地は現在、金網に囲まれて入れない。
現在の豊田高校跡地(校舎があった側)。中に入れない
広い土地である
かつての裏門か
全体が金網で囲まれている
近くで行われている高速道路工事の資材置き場になっている。
「横浜環状南線 建設中」とある
資材が置かれている
この鉄が高速道路の一部になるのだろうか
ここから移転したのは2003(平成15)年。それまで、ここはどのような学校だったのだろう。