かつて戸塚区にあった人工スキー場「アストロ横浜スキー場」って何?
ココがキニナル!
戸塚区下倉田にあった人工スキー場はどうなった? 当時の様子を調べてください(まさぼーさん、熱いおやじさん、Tosh.さん)
はまれぽ調査結果!
「アストロ横浜スキー場」は1972年~1985年ごろまで営業していた。オーナーは同地で現在バッティングセンターを経営している
ライター:小方 サダオ
自然の地形を利用して作られたスポーツ施設
かつて横浜市戸塚区に人工のスキー場があったという。
読者からの投稿を参考に情報を探すと、そのスキー場があったのは戸塚区下倉田町らしい。
投稿のスキー場があったのは戸塚区下倉田町(青矢印、Googlemapより)
このあたりは横浜市の中央よりに位置し、鉄道の駅でいうとJR戸塚駅とJR本郷台駅の中間あたり。
それぞれの駅からは距離があり、交通に不便な立地のように思われるが、なぜこのような場所に作られたのだろうか?
「横浜にあった白銀の世界」の面影を求めて、現地に向かった。
環状3号線を西から東に向かう
環状3号線沿いの商業施設
投稿ではこのあたりにあったというが、住宅地やスーパーが目立ちスキー場が存在していたとは思えない。周辺を探ると、スーパーなどが集まる商業施設の外壁に「バッティングセンター」との看板が。
投稿にはバッティングセンターが併設されていたとの情報もあったので、念のため中に入りお店の人に伺うことにした。
すると、「バッティングセンター下倉田」にいた方はなんと当時、投稿のスキー場のオーナーをしていた人物だった。
バッティングセンターは商業施設の4階にある
人工スキー場はどのようにして誕生したのか
その方、吉原昇(よしはら・のぼる)さんに取材を申し込むと快諾してくれた。
当時、この場所で人工スキー場を経営していたという吉原さん
吉原さんはこの場所で、スキー場のみならずさまざまなスポーツ施設を多角的に経営していたとのこと。
まずは1969(昭和44)年に開場した「下倉田ゴルフ練習場」について伺った。
「昭和33~43年のサラリーマン時代に、これから(高度経済成長後)は健康産業(特にスポーツ)が注目されると考えました。ゴルフは経験があったので、父親が所有していたこの土地は円形状のくぼ地で周りが斜面であったため練習場に適しているとすぐに考えました」という。
1968(昭和43)年の航空写真。ゴルフ場などが作られる前の場所(青枠)
ゴルフ練習場(青枠、昭和50年戸塚区明細地図)
ゴルフ練習場だった場所の現在の様子
スキー場を始めたきっかけは、意外にもゴルフ練習場のオープンが関係していたそう。
「ゴルフコースを天然芝のフェアウェイにしていたこともあり、芝に関しての知識が身に付きました。そこで隣接する傾斜地も芝を利用した施設にしようと考え、『芝スキー』の存在を知りました」
グラス(芝)スキーの様子(画像提供:公益社団法人 日本グラススキー協会)
「芝スキー場は、群馬県の赤城山山麓の『赤木国際芝スキー場』を見学し導入させてもらい、1972(昭和47)年、ゴルフ場の隣にオープンしたのです。最初はスキー板の代わりにキャタピラで走るものを使用しましたが、技術的に扱うのが難しいなど不評でした」
ベルトコンベアー式のリフト(青矢印)