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南区「井土ヶ谷」はかつて「井戸ヶ谷」だった? 鎌倉時代の井戸には今も水が!

南区「井土ヶ谷」はかつて「井戸ヶ谷」だった? 鎌倉時代の井戸には今も水が!

ココがキニナル!

「引越村(現・六ツ川町)…引っ越しの村?」「井土ヶ谷…井戸が多い谷?」「戸塚…扉の塚?」など横浜に点在する「なんとなくキニナル地名の由来」を新旧問わず調べてください!(スさん)

はまれぽ調査結果!

今回は「井土ヶ谷」の由来を調査! かつて「井戸ヶ谷」と呼ばれており、独特の地形を言い表したとする説や、鎌倉時代に名付けられたという言い伝えも!

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ライター:はまれぽ編集部

今回調査するのは南区「井土ヶ谷」の地名の由来。京急線井土ヶ谷駅は南区井土ケ谷中町に位置しており、前回の「引越坂」と比べると住所名にしっかりと名前が残されている。
 


住所は「井土ケ谷」、駅は「井土ヶ谷」という違いがあったりする

 
さてこの井土ヶ谷の名前、由来に関してはいくつか説があるようだ。まずは横浜市が発行する資料から確認していこう。
 


井土ケ谷上町・中町・下町に分かれている

 
『横浜市史稿 地理編』(1932年、横浜市)によれば、井土ヶ谷という地名は「何時の頃に起こつたか判然しない」ということで、呼ばれ始めた時期についてははっきりしないようだ。だが、かつては「井土ヶ谷町」、それ以前には「井土ヶ谷村」がそのルーツになっている。
 


戸塚宿や鎌倉にも通じる、歴史ある地域
 

その起源については『新編武蔵風土記稿』(1830年)に記述があり、かつては「多々久郷」と呼ばれていた地域が、弘明寺、中里、最戸、久保、そして「井戸ヶ谷(井土ヶ谷)」の5村に分かれたことが、そのはじまり。
この時代には、「井戸ヶ谷」表記だったことがうかがえる。
 


前回調査した「引越村」とも関連が深い(『新編武蔵風土記稿』より)
 

そして肝心の、村の名前が「井戸ヶ谷村」になった由来については「此地殊ニ地窪ナル故、井戸ヶ谷ノ名起リシト云」とのことで、周囲よりも窪地になっていたことから、「井戸」の名前が付けられた、ということのようだ。

そしてもう一つ、同資料では「或云、鎌倉将軍時代、村内ニ清冽ノ井二アリシ故、村名起リシト」という説も紹介されている。

 

横浜にはあちこちに湧き水があるが・・・(写真は鶴見区の
岸谷の湧き水

 
鎌倉将軍時代、村内に綺麗な井戸が二つあったことが由来、ということだろうか。当時、井土ヶ谷村の水田には引越村の溜池から用水を引いていたとも書かれているが、ここに井戸があり、水が豊かな土地だったことは確かなようだ。

そして、その「井土ヶ谷の由来になった井戸」二つのうち一つが、今も地域には残されているという。