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あるのに、ない?「横浜さとうのふるさと」の謎に迫る

あるのに、ない?「横浜さとうのふるさと」の謎に迫る

ココがキニナル!

鶴見駅東口からさとうのふるさと行きのバスが出ています。HPを見ても古く概要がつかめません。とても気になるので是非レポートを!(よりをさん/たっくまんさん/タロー先生さん/タコさん/ハマっこ3代目さん)

はまれぽ調査結果!

「横浜さとうのふるさと」行きバスの終着点にはかつて砂糖の博物館があったが15年前に閉館。今も巨大看板はあり、バスの行き先とバス停名も健在。名前が残る理由には元館長の尽力があった

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ライター:結城靖博

横浜港のクルージング船に乗って、海から陸を望む普段とは逆向きの港の景観を楽しんでいると、やがてドーンと見えてくるのが次の風景だ。
 


クルージング船「マリンルージュ」から望む「横浜・さとうのふるさと」の巨大看板

 
写真は今回の取材とは関係なく、たまたま数年前にあまりの威容に思わずとらえた1カット。だが筆者にかぎらず、この巨大文字がキニナル人は多いだろう。それは、はまれぽへの投稿数を見ても明らかだ。
 
山下公園からの眺めはこんな様子。
 


山下公園の岸壁から海を正面に望む

 


そして画面中央に向かってグイッとレンズをズームすると、こう

 
鶴見駅からは「横浜さとうのふるさと」行きのバスも出ているという。さっそく鶴見駅からバスに乗って終着点まで向かうことにした。
 
 
「さとうのふるさと」の今を直撃!
 
鶴見駅の「横浜さとうのふるさと」行きバス停は、東口バスターミナルの7番乗り場にある。
 


ターミナル中央付近の7番乗り場。路線は181系統

 


平日の朝夕通勤時間帯の本数は多いが、それ以外は1時間に数本

 
取材時は平日の昼間だったが、運よくバスはすぐにやってきた。
 


行き先を示す電光掲示板は確かに「横浜さとうのふるさと」

 


バス停に掲げられた経路

 


地図で示すと、こうなる(赤いラインが道順) © OpenStreetMap contributors

 
バスは鶴見駅東口を出発後、第一京浜を南下し、大黒町入口で左折。その後は首都高速下の大型トラックが行き交う産業道路を大黒ふ頭へ向かってひた走る。そしてついに港の突端の終着点、「横浜さとうのふるさと」バス停に到着。
 


確かにここは「横浜さとうのふるさと」だ

 


バス停(乗車側)はこんな様子

 
降車側は道端に停留所を示すポールがぽつんと立っているだけで、ほかには何もなかった。
そして、何もないといえば、停留所の先の海側の敷地も同様だ。
 


海の向こうに遠くベイブリッジを望む

 
この空地を奥へ進んで右手を見ると、次のような光景が広がっている。
 


工場である

 


カメラを少し左に振って海寄りをとらえると、こう

 


だが、赤い丸で囲んだ辺りに注目

 
わかりづらいが、長方形の建屋の向こう、画面左隅に、下が白・上が青の三角の面がちらっと見える。これが、山下公園から見える「横浜・さとうのふるさと」の巨大看板の一部だろう。そしてこの看板は、長方形の建屋に隠れてはいるが、写真右上方のとんがり頭のほうへ続いているらしい。
巨大な文字は、横に細長い建屋の、三角形の屋根一面に書かれていたのだ。
 
それにしても、ここには工場しかなさそうだ。「関係者以外立ち入り禁止」と大きく入り口に掲げられている。バス停「横浜さとうのふるさと」の周辺取材はこれで終えよう。
 
 
「さとうのふるさと」の過去を探る
 
「さとうのふるさと」とは、結局いったい何なのか?
それを探るべく、かつて巨大看板を海に向かって掲げた張本人である塩水港精糖(えんすいこうせいとう)株式会社の本社を訪ねることにした。
 
塩水港精糖本社は現在、東京・日本橋にある。最寄り駅は浅草線「人形町」駅だ。
 


塩水港精糖本社が入るビル

 
同社は1904(明治37)年に台湾で設立された日本の老舗製糖会社である。
現在は基幹商品の砂糖だけでなく、乳糖果糖オリゴ糖などのバイオ素材も手掛ける。「オリゴのおかげ」が新分野の主力商品だ。
 
取材に応じてくれたのは代表取締役副会長の山下裕司(やました・ゆうじ)さんと総務企画担当主任の笠井貴文(かさい・たかふみ)さんのお二人。
 


左が山下副会長、右が笠井主任

 
実はバス停「横浜さとうのふるさと」がある場所には、かつて「横浜さとうのふるさと館」という工場見学を兼ねた博物館があった。山下さんは、その館長を務めていたそうだ。
山下さんによれば、館がオープンしたのは1997(平成9)年5月。だが、なぜそこに「ふるさと」という名前がつけられたかを知るには、その2年前にさかのぼる必要がある。

そもそも、あの巨大な青い看板「横浜・さとうのふるさと」(一文字8~9メートル四方、全長約120メートル)が掲げられた建屋は、海から運ばれてきた原料糖を保管する倉庫だ。1995(平成5)年、この倉庫の屋根を新しく作り替えることになった。
 
そのとき、横浜は江戸時代に八代将軍吉宗が奨励した製糖事業ゆかりの地であり、しかも開港後、全国の8~9割を占める砂糖輸入の中心地にもなったことから、「横浜は砂糖のふるさとだ!」ということを啓蒙すべく、あのような看板を掲げることにした。
一方、資料館の建設計画も並行して進められ、2年後「横浜さとうのふるさと館」が晴れてオープンする。
ところがその後、複数の製糖会社の共同生産工場であった同地への参加企業が増え、より広いトラックの搬入スペースが必要となったことや、加工を委託していた共同生産会社・太平洋製糖に同地を譲渡したことなどから、資料館は2004(平成16)年5月、閉館となる。開館後わずか7年後のことだった。