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あるのに、ない?「横浜さとうのふるさと」の謎に迫る

あるのに、ない?「横浜さとうのふるさと」の謎に迫る

ココがキニナル!

鶴見駅東口からさとうのふるさと行きのバスが出ています。HPを見ても古く概要がつかめません。とても気になるので是非レポートを!(よりをさん/たっくまんさん/タロー先生さん/タコさん/ハマっこ3代目さん)

はまれぽ調査結果!

「横浜さとうのふるさと」行きバスの終着点にはかつて砂糖の博物館があったが15年前に閉館。今も巨大看板はあり、バスの行き先とバス停名も健在。名前が残る理由には元館長の尽力があった

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ライター:結城靖博

では、開館当時の「さとうのふるさと館」はどんな様子だったのだろう。
館は6つの施設で構成されていた。
その一つが「シュガーハウス」。ここには砂糖に関する情報パネルや砂糖のサンプルといった展示物があった。
 


シュガーハウス外観。もとは従業員の食堂だったそうだ(写真提供:塩水港精糖)

 


砂糖の歴史年表のパネル(写真提供:塩水港精糖)

 


砂糖の結晶の展示(写真提供:塩水港精糖)

 


砂糖の直売コーナー(写真提供:塩水港精糖)

 
また、南国ムード漂うガラス張りの「サトウキビハウス」では、ドリンクを楽しみながら本物のサトウキビが観賞できた。
 


サトウキビハウスの内部(写真提供:塩水港精糖)

 
さらに、「原料糖倉庫」には見学ステージが設けられ、最大3万5000トンの原料糖の山を見ることができた。
 


右が見学ステージ。左が原料糖の山(写真提供:塩水港精糖)

 


まるでピラミッドのような迫力ある光景だ(写真提供:塩水港精糖)

 
一方、屋外の見学コース「ふるさとロード」には大きな本の形をしたオブジェが並び、本をめくるような感覚で横浜と砂糖のゆかりや歴史を知ることができた。
 


ふるさとロードのオブジェ(写真提供:塩水港精糖)

 


同じくふるさとロードのオブジェ(写真提供:塩水港精糖)

 


ふるさとロードの先には「横浜港パノラマ」が待っていた(写真提供:塩水港精糖)

 
このほか、講演会や研修会、展示会として市民が利用できた「セミナーハウス」もあった。
 
だが山下さんの話の中で一番興味を惹かれたのは、洋菓子研究家・今田美奈子さん制作の「高さ4メートルの砂糖でできた自由の女神像」だ。もともとフジテレビの玄関に飾ってあったものを譲り受けたという。
 


「自由の女神」搬入時の写真。左端が当時の山下さん(提供:塩水港精糖)

 
そんな「さとうのふるさと館」への来館者は、どれほどだったのだろう。
「当初は道に迷った人が来る程度でした」と山下さんは笑う。
けれども、NHKの朝の情報番組で紹介されたころから、次第に来館者が増え、最盛期は日に十数台のバスを連ねて500人ぐらい訪れたこともあった。小中学生の社会科見学、修学旅行にも利用され、7年間で最終的に約14万人が訪れたという。
 
それほどの来館者があったら、もしわずかでも入場料をとっていたらなかなかの金額になっていたと思うが、入場は無料だった。
 
今、これらの施設はどうなっているかというと、シュガーハウスやサトウキビハウスは取り壊され、跡地は工場内の駐車場に。
しかし、巨大看板の屋根を擁する原料糖倉庫は、今でも共同生産会社・太平洋製糖の倉庫として使われ、倉庫内の見学ステージは健在。屋外のふるさとロードもそのままなので、これらを取引先の顧客に案内することもあるという。
 
 
バス停名の謎に迫る!
 
「横浜・さとうのふるさと」の謎は解けた。
だが、まだ解けない問題がある。それは、「すでに博物館はないのに、なぜバス停名はそのままなのか?」ということ。
これについても、山下さんが教えてくれた。
 
終着点の一つ手前のバス停名は「塩水港精糖前」。以前ここに同社の本社があったのだ。
 


現在、バス停の背後は別の会社の敷地

 
だが「横浜さとうのふるさと館」ができるまでは、終着点のバス停名は「大黒町岸壁」、一つ手前は「砂糖工場前」だった。かつて横浜市交通局は、バス停名に企業名をつけない方針を取っていたからだ。
ところが時代が変化し、企業名をつけたバス停も次第に当たり前になってきたので、「横浜さとうのふるさと館」をオープンするにあたり交通局に掛け合い、終着点を「横浜さとうのふるさと」、一つ前のバス停を「塩水港精糖前」に変えてもらったという。
 
しかし同施設が閉館されると、交通局からバス停名変更の申し入れがあった。それに対して、なんとか名前を残したいと交通局に足を運び尽力したのが、山下元館長だった。
「他の乗客に影響が少ない終着点だったのもラッキーでした」と山下さんは語る。
また、「偶然でしたが、以前のバス停名変更に際して、交通局の鶴見営業所時代にご協力いただいた方が、自動車部長に就任されておられたことも幸いし、歴史的な経緯も踏まえあらためて交通局の理解を得ることができました」という。
こうして、バス停名はそのままとなり、今では主に共同生産工場である太平洋製糖の従業員が通勤に利用している。
 
山下さん曰く「市民の皆さんには紛らわしくて恐縮ですが、今までさまざまな地域貢献をしてきた当社のことを記憶にとどめていただければ」と。
 


「横浜さとうのふるさと館」にはこんな看板も掲示されていた(写真提供:塩水港精糖)

 
山下さんは最後に「当分、名称が変更されることはないでしょう」と付け加えた。
 
 

横浜市交通局からバス停名について回答を得る


 
実は塩水港精糖への取材の前に、横浜市交通局に「横浜さとうのふるさと」のバス停名について問い合わせていた。だが、明確な回答を得たのは塩水港精糖の取材後だった。
 
交通局曰く、「バス停名に使用している施設が閉鎖したり、名称が変わったりすると、バス停名も変更することが多くあります。ただ、これまでのバス停名称が地元の方々に馴染んでおり、変更すると混乱を招くような場合は、変更せずにこれまでのバス停名を残すこともあります。『横浜さとうのふるさと』は、特にトラブルやバス停名称変更の要望もなく、この名称が馴染んでいるものと思われます」とのこと。
 
なるほどなるほど。だがそのあとに気になるひと言も・・・。
「(・・・と思われます)が、名称変更等につきまして検討する予定です」
 
果たして今後、あのバス停名はどうなるのだろうか?まだ予断を許さないようだ。
 
 
取材を終えて
 
「横浜さとうのふるさと」は、ある! 海に向かって建つ構造物と、横浜市営バスの行き先&バス停名として。だが「横浜さとうのふるさと」は、ない・・・。実態としての施設はすでに15年も前になくなっていた。
「あるのに、ない」。不思議な感覚のせめぎあいの中で存在しているのが「さとうのふるさと」だ。
 
この奇妙な存在がなくなると、確かに物事はスッキリするかもしれない。でもそれは、ちょっと寂しい気もする。
このぐらいの緩さがあったほうが、街は豊かなのではないだろうか。
バス停は終着点だから利用客は工場の関係者のみ。他の誰にも実害はない。それに、そこでは巨大看板が、横浜と砂糖との深い関係のシンボルとして、今でも啓蒙活動に励んでいるのだから。
 


もう一つの巨大看板鑑賞スポット

 
上の写真は、大桟橋ふ頭の先端から望んだ景色。ここから見ると、「巨大看板はココ!」と指し示すかのごとく、赤い矢印状の物体が重なる。
とんがり帽子の正体は、1896(明治29)年から明かりを灯し続ける東京湾最古の現役灯台、「横浜北水堤(すいてい)灯台」だ。
巨大看板ととんがり帽子、ペアで横浜の歴史を語っているかのようだ。
 
 
―終わり―
 
 
取材協力
塩水港精糖株式会社
所在地:東京都中央区日本橋堀留町2-9-6
電話:03-3249-2381(代)

横浜市役所交通局 自動車本部営業課
所在地:横浜市西区花咲町6-145
電話:045-326-3864

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  • せっかく現地に行ったなら、塩水港精糖に事前に頼んで敷地内を少しでもよいから紹介してほしかった。

  • 私たちがとくに意識せずコーヒーや料理に使う砂糖が、じつは原材料が海外から遥々貨物船で運ばれてきて、横浜港で陸揚げされて、製糖され私たちの食卓にあがることをあらためて認識させられます。そういうプロセスや経済構造を小中学生の感性豊かな年齢からじかに目で見て体で感じられるのが横浜港の姿だと思うので、博物館や社会科見学は大事だと思います。横浜は横浜駅周辺、みなとみらい、関内、新横浜など充実したオフィス街があり、新横浜から新幹線で日本の主要都市に移動でき、羽田空港までも30分程度でいける機能性が高い都市。横浜港は日本屈指のロジスチィック機能があり、首都高湾岸線、横羽線、横浜北線、第三京浜、保土ヶ谷バイパス、横横、東名で全方位と結ばれ、民間企業にとって企業環境はとてもいい都市。横浜発祥の企業、或いは他で創業した企業も、横浜に本社を進出していただき世界有数の首都圏消費市場で成長して欲しいと思う。

  • 以前に行った事がありますが確かに閑散としていました。周囲に何も無く大きい施設ではないので仕方ないのかも知れませんが。そもそも塩水港精糖さんが本社を移転(転出)してしまったからあの場所・施設も次第に手薄になるばかりだった筈。営業戦略的に仕方ないかも知れませんが、大きく・有名になると東京へ流出してしまう事が非常に残念です。横浜イチ市民として!

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