神奈川区に「浦島伝説」に由来する史跡があるって本当?
ココがキニナル!
浦島太郎の話は、神奈川発祥だという説があるらしく、両親のお墓やゆかりのある松などの話を聞きます。どのようなものがあるのか、調査していただけないでしょうか。(しゃびっちさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
神奈川区内には「浦島伝説」に由来する史跡が6カ所現存。地域全体で浦島伝説ゆかりの地であることを伝えており、見つけて回ると楽しい街だった。
ライター:石元 優
「むかし~むかし~うらしまは~」のフレーズで始まる唱歌で有名な浦島太郎。昔話として日本各地で今なお語り継がれており、その内容は幼少期に誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。
浦島太郎が亀を助けたお礼に竜宮城へ招かれ、そこから持ち帰った玉手箱を開くと老人に…。と、ここまでは誰もがご存知の通り。しかし私達が知るその内容とは少し異なった物語が神奈川区に昔から伝わるという。
神奈川区の浦島伝説
今回話しを伺ったのは、神奈川区と浦島伝説について詳しい「神奈川区いまむかしガイドの会」の石黒稔さん。浦島伝説に由来する区内の史跡について伺ったところ、「足洗いの井戸」、「足洗川の碑」、「蓮法寺」、「浦島地蔵」、「慶運寺」、「成仏寺」の6カ所が現存しているという。
そこで今回はその石黒さんに直接ガイドをして頂きながら、今も残る6カ所の史跡と浦島伝説にちなんだスポットを実際に回ってみることにした。
ガイド歴12年の石黒稔さん(72)
トレードマークの帽子にも亀
待ち合わせ場所だった京浜急行「神奈川新町駅」中央口を出るとすぐに、浦島伝説にちなんだデザインを発見出来る。
亀の形をした車止め
実際に史跡を回る前に、気になる神奈川区に伝わる浦島伝説について伺う。
内容は“ある日、太郎は海で釣り上げた五色の亀に誘われて龍宮に行った。そして3年間楽しくそこで暮らし浜に帰って来るのだが、浜ではすでに300年が経ち、父母は亡くなっており、知っている人もいなかった。太郎は悲しみにくれ、故郷に近い神奈川に帰ってくる。そこで乙姫の誘導により父母の墓を見つけ、その傍らに建てた庵に乙姫からもらった観音像を祀り、父母を供養してから迎えにきた乙姫と一緒に再び龍宮へ戻っていった。”というもの。
「つまり若いままの太郎ということになるから、乙姫の言うことを聞いて玉手箱を開けなかったところがおもしろいでしょ」と石黒さん。
神奈川区の浦島伝説の地を巡る
まずは神奈川新町駅中央口を出て左手、新町~子安通方面へ向かう。
ここから青木橋付近まで続く街灯にも亀
「おもしろいものがあるよ」と石黒さん。
浦島山車庫
浦島太郎が鎮座する山車が収納されている
この山車は毎年8月中旬にある熊野神社の祭礼で、浦島町の山車として使われているそうだ。通常、見ることは出来ないが団体客のガイドをする時には見せてもらえるよう手配しているそうだ。
さらに太郎が父母の墓を探して上陸したと言われる子安浜を先へ進むと「足洗いの井戸」へ到着。
今も水は出ており、ご近所さんに親しまれている。飲用不可。
これは子安浜に上がった太郎が足を洗ったと伝えられている井戸。子安通一丁目の住宅がかなり密集している中にあるので、自力で見つけるのは難易度が高いように思える。
そこから国道を山側に渡り、子安駅を通り抜けて出た大口通りには、押さえておきたいポイントとして太郎が足を洗ったという川があり、近くには「足洗川の碑」が建っている。
足洗川の碑
今は暗渠化され、この下を川が流れている
資料を駆使して説明してくれる石黒さん
さらに山手である七島町へ向かうと今度は「この辺りに、もとの浦島寺である観福寿寺があったんですよ」と説明が。
七島町交差点付近
太郎が乙姫の導きでやっと探し当てた父母の墓の傍らに、乙姫からもらった観音像を祀っていたのが観福寿寺。1868年の神奈川宿の大火で焼失して、祀ってあった玉手箱や釣り竿はその時失われてしまったそうだ。
しかし、現存するものもあるらしい。そこで訪れたのが跡地のすぐそばにある蓮法寺。大正末期に観福寿寺があったこの場所に移転されている。
長い階段を登った先にある蓮法寺
市登録文化財に指定されている浦島父子の供養塔
よくみるとやっぱり亀
ここには旧境内に残されていた供養塔などゆかりの遺物が山門脇に安置してある。