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本田圭佑選手を育てた大叔父の大三郎氏は横浜市消防局訓練センターの超鬼教官だったってほんと!?

ココがキニナル!

本田圭佑の大叔父、本田大三郎氏がキニナル!昔、横浜市消防局訓練センターで超鬼体育教官だったとのウワサだけど、ホント!?(doramucanさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

本田大三郎氏が体育訓練担当教官だった当時、超鬼教官だったのはホント!しかし、教え子からは恐れられながらも尊敬されていた!

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ライター:松宮 史佳

鬼教官!? エピソード


 
現役引退後、1972(昭和47)年に開催されたミュンヘンオリンピックにはコーチとして参加。1976(昭和51)年、40歳の時に消防センター開設に伴い、横浜市消防局(以下、消防局)に転職。
 


初代体育訓練担当教官に就任した

 
当時、消防局には訓練施設やカリキュラムがなかった。その改革をするために「第三者でおかしな奴を入れようと思ったんじゃないの?(笑)」とのこと。
 


訓練に必要な施設を造り、教科書を編纂した

 
超鬼体育教官伝説の真偽について尋ねると、大三郎氏は「仏の本田だった(笑)」と返答。しかし、泳げない訓練生に「俺は泳げません」と書かれた赤帽を被らせることもあったとか! 
 
非常呼集(非常時の際に隊を呼び集めること)の時に水泳パンツや長靴で集合させたり、真冬なのにプールの水中に集合させるということもあったらしい。通常、非常呼集は“3回ほど”。だが、大三郎氏の場合夜中に7~8回も非常呼集を行ったり、「朝食中・入浴時・トイレに入っている時にもやった(笑)」そうだ。「・・・やはりウワサは本当だった」と確信する松宮。
 


・・・超鬼教官時代の迫力ある姿(左から2人目が大三郎氏)

 
だが、これにはすべて理由がある。有事の際に水場しか逃げることができない場合、泳げない消防職員がいると、殉職する可能性が高くなる。また、「市民を救うのが消防士の使命」だからこそ、厳しかったのだろう。大三郎氏は生涯3000人ほどの教え子を育てたが、「泳げない訓練生はいない」そうだ。
 
横浜市消防局に電話し、「当時を知る人にインタビューを」と取材を申込む。だが、「(自分などが大三郎氏について語るのは)恐れ多い」と言う人が続出! 

担当者経由で伺ったところ、当時の大三郎氏は「ただ走れ!」などの根性論ではなく、すべてにおいて「徹底的に理論に基づき、指導していた」そうだ。たとえば、この動きには“この筋肉が必要なので鍛える”など理論に基づいていたので、説得力があったのだろう。確かに訓練は厳しかったが、多くの教え子に慕われ、尊敬されていたようだ。

全国に先駆けて横浜市消防局の体系を整えた大三郎氏。「横浜市の精鋭部隊を誇らしく思う」と語る。超鬼教官として厳しかったのは「立場がさせたこと(笑)だから許せよ!」と過去の教え子にメッセージ。
 


卒業アルバムの寄せ書きには、大三郎氏の深い言葉

 
当時、「セーラーモンキー」というロープを上る鍛練があった。無駄な力が入ると、上れないため、緊張しないようにある呪文を訓練生に伝授した。その呪文とは・・・

「(鼻で息を吐き)ふん! カマクラ!」(×3)

その響きに爆笑すると、「本当に師範学校の指導書に書いてあったんだよ」と大三郎氏。ちなみになぜ鎌倉なのかは不明。
 


大三郎氏の次男・大氏作「ふん! カマクラ!」 ウマすぎる!

 
大三郎氏は酒が嫌いなので、選手時代は飲まなかった。だが、消防局時代はつき合いのために大瓶ビール20本を「ビールケースに座って飲んでた(笑)」らしい。当時は体が欲していたので「水代わりに飲んでいた」とのこと。ちなみに定年後は(飲酒は)止めたそうだ。
 
  
 

圭佑氏・多聞氏との秘話



著書・「本田家の男は骨で戦う」では食事や練習内容などを記載した(のちの『本田ノート』)の付け方を圭佑選手に教えたと書かれており、興味深い。

圭佑氏とのエピソードを大三郎氏に伺うと「ほとんど接点がなかったから」「僕のことを神格化してたんじゃないかな(笑)」とのこと。
 


本田大三郎著・「本田の男は骨で戦う」

 
誰でも波がある。調子がいい時は「どのようなことをしていたか」悪い時は「どうだったか」『本田ノート』は過去を見直せる。スランプ時には“肉体的・精神的・技術的”のうち、何に原因があるのか探ることができるのだ。
 
ここで圭佑氏に直接教えたことを尋ねると「特にない」「自分で学び取ったんじゃないかな」とのこと。
 
大三郎氏の長男・多聞氏はロサンゼルス・ソウル・バルセロナとオリンピックに3度出場。その後プロに転向し、現在はスクールで子どもたちにレスリングを指導している。
 


多聞氏はプロレスラーとしても活躍する一流のアスリート(サンケイスポーツ3月21日号)

  
多聞氏は中学校ではブラスバンド部に所属。チューバを吹き、県大会で銀賞を取る腕前だった。次男の大氏も絵や音楽はプロ並み。スポーツだけではなく、文化的な活動もとことん行う。すると「幅広い選択肢が生まれ、新しい道が開けることもある(by大三郎氏)」。