横浜銘菓「ありあけハーバー」、復活劇の背景は?
ココがキニナル!
横浜銘菓、有明のハーバー、一時食べられなかったけどどうやって復活したの?(fragile dancerさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
不動産投機に失敗して倒産したが、元有明社員やプレシアの藤木会長のアツい思いにより復活した!!
ライター:松宮 史佳
ある日、ボーっとTVを見ていると、“ありあけのぉハ~バ~♪”という懐かしいフレーズが!
こ、これは、幼いころ食べていた「ありあけのハーバー」の歌ではないか!
神奈川県出身の松宮にとって、「ハーバー」はまさに“思い出の味”。
しっとりと焼き上げられた生地に栗あんが入り、上品な甘さが特徴だったハーバー…。
横浜のお菓子といえば“ありあけのぉハ~バ~♪”
ここでスイッチが入り、頭の中ではあのCMソングが繰り返され、もはや止まらない状態に!
そして「今すぐハーバーが食べたい!(×100)」という欲望に占拠されるが、松宮の近所ではハーバーが売っていない。
暴れそうになったが、しかたがないのでハーバーを調べて心を静めてみる。
ありあけの“ハーバー”とは?
もともとハーバーは「夢と浪漫を託す」という願いを込めて“ロマン” と命名され、鶴見区にあった有明製菓株式会社(以下、有明)より1954年に発売された。しかし、“船をかたどった横浜の銘菓”だったので1966年「ハーバー」に改称された。
ハーバーは“ありあけのぉハ~バ~♪”という印象的なCMが流されているので、横浜はもちろん、神奈川県やその近隣ではかなり知られた存在だ。崎陽軒のシウマイと共に“横浜銘菓”として浸透しており、神奈川県出身の方なら「子供のころ、親が買ってきたから食べたことがある」という方もかなり多いはず。
そういえばハーバーは一時期店頭から消えていたような…。どうやって復活したのだろうか?
復活までの詳しい経緯を株式会社ありあけ執行役員・営業部部長の森さんに伺った。
不動産投機などに失敗。倒産を知った“衝撃の朝”
―ハーバーが販売されていない時期があったのはなぜですか?
ハーバーの販売元であった有明が不動産投機などの失敗により、1999年6月に倒産してしまったんです。
70億円の負債を抱え倒産
―倒産の気配は?
いえ、まったく何も知りませんでした。倒産を知ったのは“倒産の当日”なんです。
ありあけ執行役員・営業部部長の森さん
有明が倒産したのは1999年6月30日。ちょうどボーナスの時期だったので、研修室に呼ばれた森さん以下社員は「ボーナスカット」くらいに思っていたとか。が、いきなり「今日で倒産」と言われるとは!
―当日、「倒産」と知らされてどうだったんですか?
もうどうにも…。言われたらしょうがないですから(苦笑)。 全員解雇です。
私たちは本社で倒産を知らされたのでまだいいんですけど、お店の店員は何も知らないで営業していましたからね…。
周囲は倒産に驚いてたようだ
横浜出身の森さんいわく、幼い頃からハーバーが大好きで、1度に10個は食べていたとか!
今でも「5個はイケる」というほど、ハーバーへの思いはアツい。
元有明社員の有志で「ハーバーを復活させたい」とは思うものの、一度倒産した会社が復活するのは難しい。
「もうハーバーが食べられなくなってしまう」と諦めかけた瞬間、強力な救いの手が!
横浜を愛するアツい男、あらわる
倒産した有明の再建に力を貸そうと立ち上がったのは横浜の企業、株式会社プレシアだった。
同社は1991年に設立した洋菓子の卸売会社で、創業者である藤木氏(現プレシア会長)は実家の福井県に帰省する時には、手土産としてハーバーをよく買っていたというほど、ハーバーのファンだった。
もともと「対面販売をしてお客さんのニーズに応えたい」、そしてなによりも「横浜ブランドを作りたい」という強い思いがあり、有明の親会社となってハーバー復活の支援をすると決めたのだ。
有明を救った“アツい男”プレシアの藤木会長
元有明の営業でプレシアの営業職に就いた森さんと、同じく元有明の企画、製造担当者と「横浜出身でハーバーを食べて育った」というプレシアの社員がハーバーの復活に向けて集結した。