南区六ツ川にあるトンネル跡のようなものの正体は?
ココがキニナル!
南区の六ツ川にある「サウスヒルズ横浜弘明寺」の近くに階段があります。その階段横にトンネル跡があったのですが,何のためにあったのかぜひ知りたいです。(fukaさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
横浜市や近くにお住まいの方、地主などにお話を聞くと、防空壕である可能性が高いと思われます。しかし、確証は得ることができませんでした。
ライター:河野 哲弥
どうやら、私有地である可能性が
(続き)
そんな矢先、南土木事務所から、携帯へ折り返し電話がかかってきた。もしかしたら、防空壕ではないかというのだ。そして、消防局の危機管理室なら、市内の防空壕跡について把握しているはずだと教えてくれた。
以前、危機管理室には、津波関連の記事でお世話になった
そこで、危機管理室に電話をかけてみると、確かに防空壕の一部を記録として残しているとのこと。かつて防空壕跡で遊んでいた子どもが事故で亡くなったことを受け、2009(平成21)年より国土交通省の指導のもとに、こうした防空壕(正式には「特殊地下壕」)の封鎖を推進しているそうだ。ただし、「封鎖をしたい」という地元からの申し入れがあったものが対象で、全ての防空壕を網羅している訳ではないという。
現地の場所を伝えて調べてもらったが、残念ながら防空壕かどうかは分からないそうだ。ちなみに同室で行っているのは、立ち入り禁止を目的とした封鎖措置で、必ずしも埋め戻したりはしていないとのこと。現場入口の様子を見る限り、厳重な封鎖がなされているので、地元から申し入れなどは出されなかったのだろう。
どうやら、市の各部局を通じての確認は、八方ふさがりのようだ。そこで、私有地という前提で、改めて調査をし直してみようと思う。
現地周辺の住民にヒアリング
現場に戻り、土地の歴史を知っていそうな妙齢の方に、何かご存じないか聞いてみた。すると、皆さん口をそろえて、「防空壕ではないか」という。
この辺は丘になっている場所が多く、地盤が固いので、他にもいくつかの防空壕があったそうだ。中には、埋め戻したときに、亡くなった方をとむらう祠(ほこら)を建てた場所などもあるらしい。
自らも避難した経験を持つという、近所の方
現場周辺には、このような祠が数カ所建っていた
また、現場の土地については、「サウスヒルズ横浜弘明寺」の建築時に、一緒に売買されたという話も聞けた。
そこで、同マンションを建設した「真柄建設(石川県金沢市)」に確認してみたのだが、担当者は既に退社し、詳細な資料は残っていないという。しかし、売買されたのであれば、登記簿にその記録が残っているはずである。そこで、法務局で参照してみることにした。
現土地所有者が判明
法務局で入手した不動産登記には、現在の土地所有者の名前が載っていた。それによれば、「日本電話施設株式会社(愛知県名古屋市)」という法人が、1999(平成11)年に、問題の土地を取得したようである。
日本電話施設の公式サイト
念のため、同社住宅不動産事業本部に問い合わせたところ、確かに同社の土地で間違いないそうだ。現場に建っていた看板や封鎖措置も、同社が行ったものだという。
そして、例のトンネルのようなものについては、土地の取得時に、「防空壕だった」という話を聞いたことがあると話す。ただし、何かしらの文章など、記録が残っている訳ではないとのこと。
今回の調査。横浜市の各部局では分からず、地元の方や現土地所有者に尋ねた結果、現段階では「防空壕である可能性が高い」としか言うことができない。
もし、どなたかこの件につき、ご存じの方がいらっしゃったら、ぜひ情報をお寄せ願いたい。
―終わり―
ティムさん
2016年07月26日 10時05分
六ッ川のサウスヒルズ横浜のよこの洞窟は戦時中の防空壕でして、私はこの地下壕の中には入った事がありませんが、もしかして、隣町にあっsた永田南の巨大地下壕と繋がっていたのでは、永田南にの谷戸の奥地に三蛇頭(サンジャトウ)という池がありました。周りはヘビが多い場所でした。池の近くには戦時中に陸軍が掘った地下工場が三カ所ありましたその中の2箇所は入ったことがありますがとても巨大な洞窟でした、ほかの1カ所は洞窟内に地下が賀60cmぐらいあり入る事が出来ませんでした。この地下水の溜まっていtた洞窟が六ッ川のヒルズの壕と繋がっていたようです。
porfidioさん
2014年01月05日 21時29分
愛犬との散歩で良く通る道です。自分は防空壕だと思っていました。ただ、厳重な鉄格子でロックアウトされていて、ちょっと気味悪いとは感じていましたが。。。(^^;)
annkoさん
2013年07月28日 17時38分
私は元所有者所縁のものですが、防空壕のあとだと聞かされておりましたよ!実際にみるとノミの跡などがあり、気持ちの良いものだはありませんでした。