横浜市内18区の区名の由来Ⅲ【昭和44年編】
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横浜市内18区の区名の由来を教えてください(KZさんのキニナル)
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今回は、1969(昭和44)年10月に作られた緑区、旭区、瀬谷区、港南区の由来をお届け!
ライター:田中 大輔
実は5位!? なんで旭区になったのか
続いては旭区だ。
保土ケ谷区から分区して作られた区で、市の西側、先ほどの緑区のすぐ南側に位置している。
鎌倉時代の有力武将・畠山重忠ゆかりの地としても知られ、区内には史跡が点在している。
万騎が原にある「畠山重忠公遺烈碑」。このほかにも畠山にまつわる史跡が多くある
「ズーラシア」や「こども自然公園」があるのもこの旭区だ。
みんな大好きズーラシアがあるのも、この旭区
さて、こちらの区は、公募の票数と採用された名前がすんなりマッチしなかった区だ。
801通の公募の中で、一番多かったのは“旭区”ではなく“西保土ケ谷区”で119もの票を集めた。
じゃあ、2位が“旭区”かというと、それも違う。
2位は“港西区”で、以下“鶴ケ峰区”、“富士見区”と続いて、“旭区”は47通の5位だったのだ。
旭区役所。ここでは広報相談係に対応してもらった
なぜこうなったのか。
公募開始当初、集団応募が行われ“鶴ケ峰区”に票が集中するということが起きたんだそうだ。
これを快く思わない別の地域から“西保土ケ谷区”、“港西区”への集団応募があり、結果的に対抗意識バチバチの3つがトップ3となったわけだ。
しかも、“鶴ケ峰”は“峰”なのか“峯”なのかで統一が厄介になるし、“西保土ケ谷”や“港西”はすでに存在していた保土ケ谷区、西区、港北区との紛らわしさという問題もはらんでいた。
大貫谷戸水路橋があるのも旭区。写真は貴重な水路橋の上からの眺め
そのため、応募件数は多かったもののこれら3つは除外され、“富士見”、“旭”、さらに6位につけた“緑”が最終候補となったのだ。
その中から画数が少なくシンプルで、朝日が昇るような将来性を意味する(「横浜の町名」より)“旭区”に落ち着いたのだそうだ。
2位に甘んじるも、歴史の深さで逆転勝利
お次は戸塚区から分区してできた瀬谷区。
横浜市の一番西にあり、南北に細長い地形が特徴だ。
北に緑区、東に旭区があり、実はここまでに登場した3区はそれぞれ隣り合っていることになる。
瀬谷区役所。恐ろしくどうでもいいが、祖母が近所に住んでいる
そういうわけで、瀬谷区も緑区や旭区同様に豊かな自然環境に恵まれている。
市内最大の農業専用地区である上瀬谷農業専用地区や、6ヶ所の「水辺」が整備された泉川などが区の自慢。
こちらは瀬谷区の人気スポットのひとつ、長屋門公園
区名の公募では516通のはがきが届き、2つの候補がしのぎを削った。
ひとつは採用された“瀬谷区”で、もうひとつが“西浜区”。当初は古くからの地名である“瀬谷”に応募が集中したが、集団の応募があって“西浜”が逆転。最終的には、“西浜”が138通、“瀬谷”が123通の激戦となった。3位だった“相模”が35通だったことからも、二強状態だったことが分かるだろう。
瀬谷八福神の達磨大師を祀る長天寺
そのうち、鎌倉郡の時代から残る地名である“瀬谷”が採用されるに至ったわけだ。
では、その瀬谷の由来はなにかというと、「横浜の町名」によると、地名研究において「セヤ」は「狭谷」を意味するそうだから、その地形から取られた名前と考えてよさそうだ。