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不審火による横浜の歴史文化財の相次ぐ焼失? 金沢区にある名画家の「旧川合玉堂別邸」はどうなる?

ココがキニナル!

能見台の旧川合玉堂別邸焼失のその後は?火災の原因は?備品や展示品の損害は?再建の計画は?ちなみに能見堂は明治2年に失火により焼失、その後再建されてません(ジャン・ヨコハマ/にゃんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

1917年に建てられ2013年10月に不審火により焼失、再建の計画はないがNPO団体が再び公開できるよう整備する意向

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ライター:ほしば あずみ

別荘文化が花開いた富岡


 


運営委員長の大胡(おおご)周一郎さん(左)と事務局長の柳下(やぎした)五介さん


「玉堂先生が富岡の地に別邸を構えたのは、この地の旧家の娘さんが、東京の玉堂邸に行儀見習い(富裕層の所で奉公し作法を身につけること)に出ていたのがきっかけだそうです。富岡は気候もよく、景勝地金沢八景も近く景観も良かったので、明治から大正にかけて、中央政界の大物や豪商、文化人らが多く保養の地として別荘を置きました。

たとえば、少し離れた金沢区谷津町には日本画家の鏑木清方(かぶらききよかた)も別荘『遊心庵(ゆうしんあん)』を構えており、金沢での行き来はなかったようですが、東京の本宅の方では交流があったそうです。また野島公園にも旧伊藤博文金沢別邸が残っていますね」と大胡さん。
 


【横浜の名建築】シリーズより 旧伊藤博文金沢別邸


玉堂の二松庵は、いわゆる茅葺の数寄屋造りながら絵画の制作の場としての機能が重視されていた。かつては10畳の画室から富岡の海が眺められたという。庭は歩くにしたがい景色が変化する回遊式庭園で、2本の老松があった場所には四阿(あずまや/壁面をもたない簡素な建屋)があり、ここから最も良い眺望が得られた。
 


玉堂のこだわりが反映された、べんがら壁の茶室(2008<平成20>年撮影)
 

一般公開時配布されていたパンフレットより現状配置図。敷地は約8000平方メートル


造園は玉堂の細やかな指示に従い、地元の庭師であった大胡さんの祖父、大胡隆治氏が手がけた。近隣の山からクヌギやナラといった里山の雑木を選び、自然の趣をふんだんに取り入れた。

雑木庭にせせらぎを作り、黒木の丸太橋の下の見えないところで落差をつくって水音を立てた際に玉堂は「水音が一色で味気ない。少なくとも水音を三色、できれば五色ぐらいにして音色を楽しむならいっそう最高だ」と言ったという。
 


大胡隆治氏。造園を手がけたころは24歳くらいだった


現在は木々も成長したり、当時なかった紅葉が増えたりするなどかつての庭の様子とは異なっているものの、一般公開後はむしろ紅葉の名所として地域から愛されるようになっていた。
 


「紅白梅」に描かれた梅は、代替わりしつつも植わっている


「梅の花は満開に描くべきではない」と玉堂は語っていたという。さびしいくらいが、気品が感じられるのだという。

玉堂は1923(大正12)年の関東大震災の時、ここ二松庵に滞在していた。幸い主屋は一部陥没したものの倒壊を免れた。だが余震を恐れた玉堂は、四阿(あずまや)のまわりに覆いを巡らしてしばらくそこで過ごしたそうだ。
 


庭園の四阿跡。夏場だったため壁のない四阿で避難生活を送ることができたのだろう


震災後、玉堂は谷津町の鏑木清方別邸の様子を確認して東京に戻り、東京の本宅にいた清方に被害状況を報告している。帰京の際は陸路が分断されていたため、野島から船を出して戻ったという。
当時は京浜急行(湘南電気鉄道)も開通前で、富岡の別荘を訪れる人々が船を使うのは現在の感覚よりも一般的だったと考えられる。
 


四阿跡からの眺望。富岡八幡の社叢林(しゃそうりん)を望む。右手は当時海だった


その後、1930(昭和5)年に別荘のすぐそばに湘南電気鉄道の「湘南富岡(現京急富岡)」駅が開業。また1936(昭和11)年には横浜海軍航空隊の富岡飛行場ができ、騒音を嫌った玉堂は別邸から足が遠のく。軍施設ができたことで周辺を散策しながら写生することができなくなったのも理由のひとつではと大胡さんは指摘する。
 


おもかげは取り戻せるか


 


京急富岡駅から徒歩2分。丘陵地に美しい竹穂垣のアプローチ


1936(昭和11)年には所有者も変わり、2005(平成17)年には横浜市が所有することになる。市の所有後、施設の運営は金沢区から大胡さんら運営委員会に委託され、2006(平成18)年4月から、月に1回、第1土曜日に一般公開が行われるようになった。

耐震強度上、公開日も一般の人が建物の中に入ることはできなかったが、庭での野点や、二胡や尺八などのコンサートが企画され、訪れる多くの人が楽しんでいた。
 


現在一般公開は休止状態。別邸内に許可なく立ち入ることはできない
 

在りし日の玄関部分(2008<平成20>年撮影)
 

見るも無残に焼け落ちている。火災後のまま放置されているのも痛々しい


柳下さんは言う。
「有形文化財に指定されたのは表門と主屋部分。主屋部分を焼失したとはいえ文化財としての価値を失ったとは思いません。庭園部分も、富岡の別荘文化を伝える貴重な遺構だし、地域の財産です。今後整備して、再び別邸を公開できるように働きかけていきたいと思っています」
 


周囲の木々も猛火に炙られたところは枯れてしまっている


大胡さんもまた、「建物を復元や再建すると、文化財ではなくなってしまうかもしれない。それでも、どのような形であっても二松庵を存続させて、地域の歴史として伝えていきたい。市としても建物を再建するのか、整備して庭部分だけでも公開するのか、まだ方向性も定かでない今だからこそ、現状を周知して、要望や意見を出していくことが大事だと思います」と語る。
 


取材を終えて



日本画の大家、川合玉堂の来歴を語るうえでも、また富岡の別荘文化の遺構としても貴重な存在だった旧川合玉堂別邸、二松庵。かけがえのない文化財を焼失した悲しみを乗り越え、再び一般公開への筋道がつくような働きかけの必要性を感じた。


―終わり―
 

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  • かもめさんのコメントに対して「そう思わない」方々の真意が知りたいです。私はこういった犯人は早く捕まって欲しいと思います。市の財産が不審火で失われるなんて、嫌ですね。

  • 神奈川県警何しているの?早く犯人捕まえてください!

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