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野毛の街の歴史について教えて!【中編―戦後できたお店で一番古いのはどこ―】

ココがキニナル!

戦後まもない野毛周辺の街並みが気になる。今もあるお店の中で一番古いのは!?(とっくんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

野毛には戦後まもない昭和20年代に開業した店はいくつもある。より古い店を探したどってると明治時代までさかのぼることができるがそれは完結編で

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ライター:永田 ミナミ

戦後の野毛に誕生した店

(つづき)

続いては、今回の取材にあたって協力してくださった、野毛飲食協同組合会長である田井さんの店、とんかつ「パリ一(ぱりいち)」である。
 


現在のパリ一。店名は名前に半濁音が入っているといいとの考えからという
 

ロースカツ(1188円)を頬張りながらいろいろな話をうかがった
 

古くからある店を調べ紹介してくださった田井さん。ありがとうございました
 

「パリ一」は、1953(昭和28)年にできた桜木町デパートへの出店が出発点である。桜木町デパートについては前編でも触れたが、桜川沿いにならぶ「カストリ横丁」や「クジラ横丁」と呼ばれた露店の移転先とすることを主な目的として、桜川を埋め立てて開業した。木造2階建ての館内は、1室3坪、138店舗が軒を連ね、そのほとんどが飲食店だった。
 


1953(昭和28)年開業の桜木町デパートは現在の桜川通り沿いにあった
(横浜市史資料室所蔵/提供)
 

しかし、1960年代になると自動車交通量の増加から、デパートが道路幅を圧迫していると問題になり、1972(昭和47)年に閉館した。上の写真は閉館直前に撮影されたものである。
ちなみに、桜木町デパートに入居していた店の一部は、新たに建設された福富町の「エイトセンター」
に移転したという。

さて、続いては、日本で最初に焼き餃子を出した店ともいわれる「萬里」である。「萬里」は1949(昭和24)年、現在の場所に開店した。店を構える前は屋台のようなかたちで販売していたという。

「桜木町デパートに出店した」という記述がある資料もあったので確認してみたが、ご主人の福田大地さんによると「付き合いはあったはずなので出店していた可能性はあるが、確認はできない」とのこと。 
  


戦時中に過ごした満州から持ち帰った味が、看板メニューの焼餃子である
 

同じく1949(昭和24年)開業の店に、オーシャンバー「旧バラ荘」がある。
 


外装も内装も昔のまま変わらない旧バラ荘
 

かつてトリス、ニッカとならんで人気だったオーシャンウイスキーはもうない
 

「バラ荘」は、野毛の伝説的な沖縄居酒屋「波の上」の親川さんがオーナーだったころは「野毛通信社」であり、2006(平成18)年に閉店したあとは「旧バラ荘」となった。ちなみにそのすぐとなりの看板には「元バラ荘」とも書かれている。

2006(平成18)年の閉店後、店を引き継いでいたオーナーから「ここを手放す」と聞いて、引き継ぐことを決めたのが、そのとき友人に連れられて客として「旧バラ荘」に来ていた、現店長の相馬(そうま)さんである。

ちなみに2006(平成18)年の閉店は「開店から50年」というのが理由だったからといい、そうなると1956(昭和31)年開店ということになるが、バーになる以前は喫茶店だったようなので、1949(昭和24)年は喫茶店の開業なのかもしれない。
 


そうした過去の歴史を何ひとつ変えずに、すべて引き継ぐことにした相馬さん
 

店名も創業年も諸説あるが、店のなかに刻まれた時間は揺るぎないものがある。そしてそれこそが価値だと相馬さんは考えている。
 


緩やかにカーブを描くカウンターテーブルには、かつて詰襟学生がならんだ
 

60年前に女性が洋酒のバーを開店したことの先進性と、作り物ではない本当に「古いレトロ」の強さとを尊重し、2010(平成22)年に新しい「旧バラ荘」を開店してみると、写真やポスター、ミュージックビデオの撮影、個展やライブを開きたいといったようなオファーが集まるようになった。

ここは、「まったく変わらないことの魅力」を感じることができるバーといえそうだ。 
 


六角形のかたちをした店内を古いシャンデリアが照らしている
 

おそらく、同じころに創業したと思われるのが、女優樹木希林さんの実家として知られる居酒屋「叶家」だが、現在店舗を改装中で連絡を取ることができず、残念ながら取材できなかった。夏の終わるころに改装も終わるようなので、そのときに改めて訪ねてみるつもりである。

さて、続いては、1947(昭和22)年創業の「一千代(かずちよ)」である。
「一千代」は、現在の3代目のご主人の祖母である関口千代江さんが、自分の名前に「子供を育てるための一代だけの仕事」と考えて名づけられたおでんの露店からはじまった。

しかし、人気の店は一代で終わることなく息子さんに引き継がれ、今では野毛のうなぎ店として一、二を争う老舗となった。
 


現在は3代目に引き継がれた一千代。野毛の代名詞ふぐ料理も味わえる
 

そして、最後に紹介するのは、ナポリタン発祥の地のひとつでもある洋食の老舗、1946(昭和21)年開業の「センターグリル」である。
 


いつでも美味しくお腹いっぱいになれる、安心のセンターグリル