「弁天」「大黒」「恵比寿」・・・。鶴見区から神奈川区にかけておめでたい地名が続いているのはなぜ?
ココがキニナル!
鶴見区から神奈川区にかけての埋め立て地には、弁天町、大黒町、恵比須町という地名が続きますが、やはりまとめて七福神にちなんで名付けられたんでしょうか(だいさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
弁天町、大黒町、恵比須町は七福神にちなんで名付けられた地名。ほかにも寿老橋、布袋橋、宝町と、産業道路にはおめでたい名前が並んでいる
ライター:篠田 康弘
産業道路のおめでたい地名めぐり
今回の地名めぐりのスタートは、神奈川区のJR京浜東北線新子安駅。ゴールは鶴見区のJR鶴見線弁天橋駅。弁天様のご利益を目指して歩いていこう。
JR新子安駅からスタート
子安とは「子を安らかに産む」、つまり安産を意味する言葉であるから、ここもおめでたい地名のひとつと言えるかもしれない。
新子安駅から産業道路に沿って10分少々歩くと、最初のスポット「恵比須」町が見えてくる。
恵比須町の交差点
歩道橋の上から。奥にベイブリッジが見える
恵比須町からは「布袋」橋を渡る。
布袋橋
こんな橋です
横浜市道路局橋梁課に聞いたところ、布袋橋は1933(昭和8)年に竣工され、地名と同様におめでたい名前をつけたとのことであった。
布袋橋の先は「宝」町だ。
宝町
日産自動車の工場がある
『横浜の町名』によれば、宝町は1937(昭和12)年に埋め立てにともない新設された町で、大黒町や恵比須町と同様におめでたい地名をということから名付けられているそうだ。
宝町からは「寿老」橋を渡る。
寿老橋
寿老橋を渡ると鶴見区に入る
こちらも横浜市道路局橋梁課に聞いたところ、寿老橋は1931(昭和6)年に竣工され、地名と同様におめでたい名前をつけたとのことであった。
寿老橋の先は「大黒」町だ。
大黒町
この先を右に曲がると、サザンの曲で有名な大黒ふ頭
大黒町からしばし歩くと、弁天町の由来となった小野弁天神社に着く。
今回は先に紹介した國井さんのご厚意で、普段見られない社殿の内部を見せていただいた。
ご開帳いただいた社殿
社殿の内部。右奥に弁天様の姿が見える
小野弁天神社を過ぎれば、そこは「弁天」町。ゴールの弁天橋駅に到着だ。
弁天町。ゴールの弁天橋駅はもうすぐ
弁天橋駅。ついにゴール!
弁天橋という駅名も、この地にあった弁財天にちなんで名付けられている。
弁財天は池の中に奉られており、この池に赤い橋がかかっていたことから、弁天橋という駅名になったそうだ。
弁天(青)、大黒(緑)、寿老人(水色)、布袋(黄)、恵比須(赤)が宝(ピンク)を囲んでいる。こんなにおめでたい場所はなかなか無いのではないだろうか。先人たちのネーミングセンスには脱帽である。
センスのいいネーミングだ
取材を終えて
七福神完全制覇とはいかなかったが、縁起のいい地名を探しなが工場地帯を歩く取材はとても楽しかった。海が近く川や運河もたくさん流れており、風景も変化に富んでいるので、散歩にはうってつけのコースと言えるだろう。これからの時期、皆さんも福を探して産業道路を歩いてみてはいかがでしょう。
ちなみに筆者は、取材後に宝くじで200円当たりました。これも弁天様のご利益でしょうか。
―終わり―
参考文献
『横浜の町名』(横浜市市民局総務部住居表示課編、横浜市市民局総務部住居表示課、1996年)
『鶴見の百年』(横浜市鶴見図書館編、横浜市鶴見図書館、1987年3月)
『鶴見線物語』(サトウマコト著、230クラブ、2005年11月)
さすらい日乗さん
2014年11月10日 23時40分
この鶴見、神奈川地区は、昭和初期の横浜市の埋立事業でできた土地で、各企業に売ったのです。その時に、このエリアの発展を願って七福神の名を付けたのです。ここには、臨港貨物線も入っていたのですが、1970年代に全部廃止されましたが、道路の脇に用地が残っています。また、戦後はその線路敷の用地には、不法占拠の住宅や商店なども多数あったようですが、それも完全になくなりました。
雲葉 @since1992さん
2014年11月10日 20時30分
「福を探して産業道路を歩いてみてはいかがでしょう」←排ガスだらけで福どころじゃないような(笑)
夏兒さん
2014年11月10日 11時47分
だいたい埋め立てとか、田畑を宅地に開発したとこは、新しく地名をつけるのでめでたい系になりますね。寿、老松。戦後だと平和とか。