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横須賀の住宅街で発見された旧日本軍の「特殊地下壕」とは?

ココがキニナル!

横須賀の住宅街で最大規模の旧日本軍が造った地下壕が見つかり埋め戻しをするそうです。取材お願いします。(山下公園のカモメさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

太田和で発見された地下壕は埋め戻し工事が完了。ただ、規模に関しては詳しい資料がないため、最大とは断定できなかった。

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ライター:やまだ ひさえ

三浦半島の特殊地下壕の特徴



首都東京の防衛を担っていた横須賀。第二次世界大戦が激化する中で、連合国軍やアメリカ軍の本土上陸に備える必要性があった。

横須賀に特殊地下壕が多いのも、戦局が大きく関係している可能性は高い。実際、特殊地下壕の中には、「海龍」や「回天」などの特攻部隊の陣地として使われていたものもある。

横須賀市の資料に興味深いものがあった。
横須賀市が発行している『占領下の横須賀』という本の中に、アメリカ軍が終戦後、横須賀上陸作戦を考えていた資料が載っていた。
 


占領下の横須賀(提唱:横須賀市市史編さん係)
 

アメリカ軍の上陸ポイントが記載されている『占領下の横須賀』より

 
アメリカも重要視していた横須賀。
その横須賀において戦時下に多くの造られた特殊地下壕は、横穴式のものが多い。これは三浦半島の地形が大きく関係していると、高村さんが教えてくれた。

三浦半島は、海岸に面した平地の幅が狭く、中央が丘陵になっている。横穴式の特殊地下壕は、この急斜面を利用して造られているものが多い。太田和も横穴式の地下壕だった。
 


三浦半島の断面図

 
旧日本軍の拠点として、また、避難場所、倉庫など、さまざまな目的で利用された特殊地下壕。高村さんが2004(平成16)年に撮影した貴重な写真を見せてくれた。
 


三浦市内諸磯(もろいそ)の横穴式の特殊地下壕跡(提供:横須賀市市史編さん係)
 

個人宅で利用されてたものもある(提供:横須賀市市史編さん係)
 

アメリカ軍横須賀基地内にある旧日本軍の地下壕『新横須賀市史 別編軍事』より

 
アメリカ軍横須賀基地内の地下壕のように、再利用されているものもあるが、利用目的も、造られた年代もはっきりせず歴史に埋もれてしまったものも多い。
特に終戦間際になると精確な図面が作成されなかったことも多く、はっきりしないという。

また、その目的は、終戦間際、横須賀鎮守府や要塞司令部では、三浦半島の久里浜や西海岸、大田和湾、逗子海岸などからのアメリカ軍や連合国軍の上陸を想定していた。本土上陸に備えた施設だったとも考えられる。



現場で聞いた貴重な証言



陥没によって特殊地下壕が発見された場所がどのようになっているのか。
現場に行ってみた。
 


旧日本軍武山海兵団。現在の自衛隊武山駐屯地
 

道路を挟んで向かいの高台が陥没した現場
 

この一帯は宅地開発された場所だ
 

かなりの急坂。この先が陥没した
 

道路の色が変わっている部分が工事した個所

 
最初に陥没したのは、駐車場の横のセメントが白くなっている部分。その奥と左右に広がるように特殊地下壕の空洞が延びていた。まさに住宅の真下だ。

そのため工事は、地表から空洞まで何ヶ所もの穴をあけ、セメントミルクを注入する方法が取られた。1つの穴から注入したセメントミルクが地上に溢れてきたら次の穴に移る。地道な作業で特殊地下壕は埋め戻された。

戦跡は、貴重な歴史として保存する動きもあるが、この現場の場合、住民たちの安全性を優先し、埋め戻し工事が行われた。

現場を目にするとキニナってくるのが、ここに特殊地下壕を造った目的だ。
知っている方がいないのだろうか。現場の近くあるにお寺で、聞いてみることにした。
 


溝尾山本住寺(みぞおざん・ほんじゅうじ)
 

陥没した高台の現場の下にある

 
溝尾山本住寺は、創建して300年以上経つ日蓮宗のお寺。太田和の歴史を見守り続けてきた古刹だ。住職の三田村龍幸(みたむら・りゅうこう)さんにお話を聞くことができた。
 


住職の三田村さん

 
終戦のときに小学校1年生だった三田村さんは、太田和に特殊地下壕が造られた当時のことを覚えていた。

年代ははっきりしないが、特殊地下壕が造られたのは、戦局がかなり悪化してからだったという。工事に携わったのは、勤労奉仕の人で兵隊が掘ることはなかった。また、掘り出した土は、トロッコで運び武山海兵団内の埋め立てに使われた。

三田村さんによると太田和の特殊地下壕の入り口は4ヶ所。そのうちの1つが本住寺の横にあった。
 


境内の横の斜面に入り口の一つがあった
 

入り口は斜面中央付近

 
入り口があった斜面の上が、今回の陥没現場だ。
三田村さんによると、太田和に造られた特殊地下壕は、兵隊が逃げ込むためのもので、陥没した場所には、風抜きの穴があったという。また、地下壕と関連した施設として高台に砲台も設置されていた。
 


画面中央上部、小さく見える家の場所に砲台があった
 

現在は道で分断されている

 
道を挟んで左側に陥没のあった特殊地下壕が、右側に砲台があった。

今回の取材で注目したのは陥没した特殊地下壕だが、駐屯地の直ぐ裏が高台だった太田和には、斜面を利用した特殊地下壕がかなりの数あったようだ。
三田村さんいわく、規模の大きいものから10人程度が入れる小さなものまで「山のほとんどが地下壕だった」というほど、横穴式の特殊地下壕が造られていたらしい。
 


たくさんの特殊地下壕が造られていた

 
陥没の可能性もあり、一歩間違えば命の危険さえある特殊地下壕。
全ての存在が明らかになる日はくるのだろうか。



取材を終えて



戦後70年を経て、なお分からないことが多い第二次世界大戦。記憶すること。記録すること。伝えていくこと。
それが戦争を体験した人たちと時間を共有している私たちに課せられた宿題かもしれない。


―終わりー
 

参考資料
新横須賀市史 別編軍事 (発行:横須賀市)
占領下の横須賀~連合国軍の上陸とその時代~ (発行:横須賀市)
横須賀案内記~製鉄所からはじまった歩み~ (発行:横須賀市)
 

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