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工場見学もリニューアル! 崎陽軒の横浜工場内で新弁当製造ラインに潜入!

ココがキニナル!

崎陽軒横浜工場で新弁当工場が稼働。手作業の弁当へのひもかけが機械化に(LA-CL3さん)/シウマイ弁当の蓋は横浜で買うと経木に掛紐、東京で買うとかぶせ蓋。なぜ?(enさん)

はまれぽ調査結果!

2017年5月末に増改築され、弁当の製造が開始。8月から始まった工場見学では、新しくできた弁当製造ラインも見学可能

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ライター:紀あさ

「シウマイ弁当」の誕生



シウマイ誕生から26年後の1954(昭和29)年、有名になったシウマイをもっと広げようという思いから、ついにシウマイ弁当が誕生。茂吉さんが社長で、豊さんが常務の時代だ。

販売するやいなや、大きな反響を呼び、シウマイと並ぶ崎陽軒の二大看板になった。
 


初代シウマイ弁当の掛け紙
 

1965(昭和40)年、茂吉さんは天に召され、2代目取締役社長に、当時43歳だった豊さんが就任した。

豊さんは1967 (昭和42) 年に、真空パックシウマイを販売開始。シウマイをより遠くまで持って行くことができるようになった。
 


今では一般的名称の「真空パック」という名称は崎陽軒が独自に発案したもの
 



工場見学の始まり



3代目で現社長の直文さんは、豊さんの長男で1949(昭和24)年生まれ。

「一般に『3代目が会社を滅ぼす』と言われたりするものですが」と笑って見せる直文さんだが、学生時代から崎陽軒でアルバイトをし、慶応大学卒業の翌年1972(昭和47)年に23歳で株式会社崎陽軒に入社。1979(昭和54)年に31歳で取締役に就任。
 


42歳で取締役社長に就任、豊さんは取締役会長になった(崎陽軒HPより)
 

バブル崩壊後に約20億円の借入金を引き継ぐ形の社長交代だったが、赤字店舗の閉鎖や、新商品の開発により黒字に転化。

1995(平成7)年に新東京工場開業、2003(平成15)年に横浜工場リニューアル、2006(平成18)年に東京工場リニューアルと、工場の開業やリニューアルも多く手掛けた。

横浜工場は、リニューアル時から一般向けの見学通路を設けたが、一般公開のきっかけは2001(平成13)年。アメリカ同時多発テロ事件後に海外渡航が控えられた中、旅行業の友人から「助けてくれ!」と頼まれたことだそう。
 


横浜に「国内ツアー対応の観光名所を作ってくれ」と(フリー画像より)
 

従業員からは「見世物じゃない」と猛反発を受けた。会長の豊さんからも反対され、説得には苦労したが、始まれば大変な人気。異を唱えていた従業員たちも、人に見られることで以前よりきびきびと働くようになった。
 


「人は自分たちが仕事している姿を見てもらえるのは嬉しいんだな」と
 

実は横浜工場は、1975(昭和50)年に前身のシウマイ製造工場(シウマイセンター)として建設された時から、将来弁当を作るための拡張スペースが用意されていたという。

直文さん自身はもっと早くから横浜工場でも弁当を生産しようと思っていたが、本社工場と東京工場が頑張っていたため、横浜工場は長い間シウマイの製造だけに専念していた。

しかし2年前、過去20年で約1.8倍に増えた弁当の生産高は、ピーク時期を迎えて限界に達する。ついに現場から「弁当工場を増やしてくれ」との声があがった。
 


新工場イメージ(崎陽軒プレスリリースより)