元プリンセスプリンセスの中山加奈子さんってどんな人?後編
ココがキニナル!
日本を代表するガールズロックバンド・プリンセスプリンセスの中山加奈子さんって、どんな人?
ライター:山本航
2012年プリプリ再結成の瞬間を振り返る
ーープリプリ時代と今を比べて、創作における変化はありますか?
プリプリの頃は20代だったので、等身大の表現をしようとしていました。いっぱいいろいろなことを考えて、とにかくいい曲を作って、10年後も抱きしめてもらえる普遍的なアルバムを作りたいと思っていました。今は、逆に瞬発力ですね。思ったことや感じたことをパッと書いてしまう。他人への提供曲はもちろん練りこみますが、今は自分がセンターであることも含め自由度が増しているので、特にバンドでは勢いを大事にしていますね。
今もライブやレコーディングで一緒に仕事をするメンバーも
ーー東日本大震災のチャリティーとして、2012年にプリプリが16年ぶりに再結成されました。再結成を決意したときって、どんな様子でした?
まず地震の後は、メンバーそれぞれが安否の心配をして連絡を取り合いました。そこで、とにかく一度みんなで集まろう、ということになったんです。香ちゃん(岸谷香さん)の家に集まったんですけど、全員の心の中で「再結成の話が出るんじゃないか」と思っていて、いつだ、いつだ、とドキドキしながら話をしていました。もう私は気持ちが持たなくて、とりあえず飲んどこうみたいな(笑)。
で、その話になったんですが、みんな家庭や仕事やいろいろあるので一旦持ち帰ろう、とその場は終わりました。
ーーそのとき、再結成に否定的な意見などはなかったんですか?
みんな誰かが再結成と口に出したらやるしかないな、というよりも、もう始まっちゃうな、という気持ちでしたね。ただ、生活がみんな大きく変わるので、勇気がいりましたね。
ーーそれ以前も連絡は取り合ってたんですか?
はい、それぞれがちょこちょこと。解散したときは、毎年みんなで集まろうねと話していたんですが、なかなか5人が揃うのは難しくて。
再結成のいきさつを丁寧に語られる
ーー10代のときに夢中で聴いていた音楽って今でも大好きだし、カラオケで歌ったりするし、聴くとすぐに当時の思い出が蘇りますよね。私は福島出身なんですが(※福島出身の編集部Y)、実家が半壊しまして。高校のときにプリプリを聴いていた家だったので、震災が理由で再結成されたとニュースで知ったとき、今までの何倍も思い出が溢れてきて、感動しました。
そういうことをお聞きすると、本当に再結成して良かったと思います。ありがとうございます。
瞬発力で作った、20年ぶりのソロアルバム
ーーこのタイミングでのソロアルバム発売は、20年ぶりという区切りからでしょうか?
もちろん、それもありますね。特にアルバムのテーマはないのですが、マンスリーソロライヴをやっていた時期に毎月1曲は新曲を作ろうと決めて書いてきた曲を中心に集めてみました。
ーー選曲のポイントは?
それはもう、バランスですね。アルバムとしてまとまりを考えました。それと、今の自分がリアルに響く言葉が入っているかどうか。収録曲の半分は他の人の作曲なんですが、誰かに作曲を頼むときに、いつも歌詞をたくさん書いて渡します。歌詞が沢山たまっていたので、その中から選びました。
「まさに20年ぶりって内容です」
書下ろしもありまして『Heavenʼs Gig』『私のバッグに触らないで』の2曲は、レコーディングすることが決まってから作曲を依頼した新曲です。ニューアルバム用に渡した詞の中から曲をつけていただいたものですね。キーボードの澄田啓(すみだ・さとし)くんが作曲してくれた『Heavenʼs Gig』は、レコーディングする10曲を決めて、「これでいきまーす!」 とみんなにメールを送った日に届いた曲なんですけど、 聴いた瞬間にこれは入れたい!と思って、急遽決めました。20年分と超最新と・・・。まさに20年ぶりって内容ですね。
ーー20年間の集大成ですね。バラエティーに富んでいるのに、まとまりのあるアルバムだと思いました。
そうですか!?昔は良かったというのは絶対にやりたくなくて。でも、幅が広すぎるとかこんなに暗い曲や重い曲を入れたり、こんな面を出していいのかな、と戸惑いもありましたが、「もういいや!全部出そう!」と決めました。
ソロと並行して活動中のVooDoo Hawaiians
ーー「PINS」は、RAPやポエトリー・リーディングのような新境地で、カッコいい!と思わず唸りました。LIVE映えしますよね。
ソロLIVEでときどき、即興演奏に合わせて、詩を読んでみたいな事をやっていました。 歌う以外のスタイルでこういうのもいいなーという気になって、 今回入れてみました。楽曲として成り立ってるのかわからないけど、読みたくてしょうがなくて。バンドでも朗読が1曲あるし、このスタイルはこれからもやっていこうと思っています。ただ、先日のレコ発LIVEでは皆さん、シーンとして呆気に取られた感じだったんですけどね(笑)
ーーずっとお忙しい生活ですが、ご実家に帰ったり横浜で遊ぶことはありますか?
今でも実家は横浜に変わらずあるので、しょっちゅう帰ります。昔、合宿所を出ないといけなくなった時と、20代の終わりに戻った時期もありましたね。大人になってからあまり街に行っていませんが、自宅から海が近いので今でもときどき帰っては海に行きます。日焼け止めを塗らずに焼いたりするし。冬の海も大好きで、家から歩いて浜辺に行って、海を眺めながらビールを飲んで帰ったり。友達を呼んで、潮干狩りをしてウチに泊めてあげたりもしてますね。みんな海に行けるので喜んでくれるんですよ。
――プリプリを解散してから、横浜のライブハウスでやる機会は増えましたか?
増えましたねー。セブンスアベニュー、Baysis、THE CLUB SENSATIONとか。VooDoo Hawaiiansでは、都内以外だと横浜が一番LIVEをしていると思います。
ーー何十年かたったら、横浜で暮らしたいとか思いますか?
いいですねー。横浜で飲んだくれていたい(笑)。
テレビで見た、野毛のパタン(日の出町にある中華料理「第一亭」の名物料理)が食べたい!自宅でマネして作ってみたらおいしかったんですよ。本物を食べたことがないから合っているのかわからないですけど。
この前も野毛でLIVEのときにお店に行ったら、行列で入れなくて。行きたーい。
ーー最後に『はまれぽ.com』の読者のみなさんにメッセージをお願いします。
今日は横浜の話しをするのが楽しみで来ました。演劇部とか音楽を始めたのも横浜なので、私にとって横浜は始まりの街なんですね。あの環境だったから良かったんだと思います。だから横浜に住んでいる皆さんは、音楽の街だという一面をたくさん楽しんで暮らしていくと、楽しいのではないかと思います。
「横浜は私にとって始まりの街」
取材を終えて
本人たちの意としていない不遇の時代や、プライベートをあまり明かさずアーティストイメージを大事にする人も多いなか、幼少期から現在までを包み隠さずお話ししてくれた。
東京で長いキャリアを積んでいるが、インタビューが始まると次々と笑顔で思い出を語り出し、横浜愛に溢れているのが伝わった。
お話しを聞いていると、まるで1本の映画を観たような感覚に陥る。物質的にも精神的にも被災地支援を果たしたプリプリ再結成。そして自身のバンドであるVooDoo Hawaiiansの活動を経て、6月18日に20年ぶりのソロアルバムを発売。それに先駆けたソロLIVEを、プリプリが解散した33年前と同じ5月31日に開催されたばかり。しかし、多忙な日々の疲れを見せず、終始笑顔で楽しんで話してくれた。
日本中を笑顔にさせ、胸を熱くさせてきたプリプリの作品。その作詞の多くを担ってきた中山さんは、作られてきた音楽の世界観そのままの方。今の自分を詰め込んだというソロアルバムも、老若男女問わず多くの方に楽しんでもらえるだろう。
最後に中山加奈子さんからお知らせ!
最新ソロアルバム
「ROLLING LIFE」
LMRCD-0001 Lip Mark Records
価格:3000円
発売日:2019年6月18日
20年振りに放つソロアルバム。
ギターとペンを握りしめ転がり続けてきた女性ロッカー中山加奈子、ここに満を持して全曲新曲&新録のソロ作品を完成。彼女の言葉とロックンロールが混ざり合い、広がってゆく光と闇の世界。作詞家としても定評のある彼女の言葉や視点が深く胸に響く。
収録曲の『おなじ傘の下に』では盟友:今野登茂子(ex:プリンセス プリンセス)が作曲家として参加。
ー終わりー
ちゃらねこさん
2019年07月07日 12時16分
俺も磯子高校出身です。中山さんが先輩なのは知ってたし、今も御健在でよかった。
磯高は氷取沢高校と統合されて無くなってしまうけど、このタイミングで記事にしてくれた、はまれぽに感謝!
あらめやさん
2019年07月07日 09時52分
神奈川区政60周年記念イベントとして、プリプリのコンサートがありました。今も米軍施設のノースピアで開催されました。当時プリプリのことを知らなかったですが、すごい人数の人が東神奈川からシャトルバスで来たのには驚きました。またステージの大きなスピーカーから出る迫力ある低音にもビックリ。みんなノリノリで演奏を楽しんで最後に花火が上がって最高に楽しいコンサートでした。もう二度とノースピアあの規模の開放はないだろうなあ!いい記念でした。
Go:Dさん
2019年07月06日 20時35分
当時僕はプリプリメンバーの中でも特に中山さんのファンだったので、今回のインタビュー記事を読んで懐かしい記憶がよみがえり感動しました!