横浜の路面電車、名残はどこにある?
ココがキニナル!
昔横浜には路面電車が走っていましたが、どこを走っていたのでしょうか?また走っていた路線は今現在どんな感じなのでしょうか?そしてその名残はあるのでしょうか?(TAKEさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
北は生麦、南は杉田まで、最盛期の総延長は51.79km。路線は主要道路となり痕跡は見られないが、麦田トンネルに当時の名残が残る
ライター:ワカバヤシヒロアキ
市電の跡は今も残る?
さて、そんな横浜市電だが、今もその面影は残っているのだろうか。
横浜市電保存館の山崎館長に話を聞いた
「横浜に戦争の傷痕は残ってる?」で紹介した通り、横浜市電保存館には生麦線開業時に建てられた架線用のポールが移設されている。
市電保存館には路面電車の車両がある
車両の中に入ることもできる
このほか、野毛山動物園や港南区の久良岐公園にも車両が保存されており、移設されて保管される痕跡は市内に幾つか存在する。しかし、当時の架線や軌道などがそのまま残る場所は無いのだろうか。
これについて山崎館長からは、「そういった面影は皆無と言って良いでしょう。路面電車が走っていた場所は現在、道路になっているので、軌道などは残っていないのです」との返答。
打越橋周辺も路面電車の経路(『横浜市電が走った街 今昔(著・長谷川弘和)』より)
今は軌道などの面影が全く無い
やはり時代が変わり残っていないのかと落胆したが、山崎館長から「あそこなら・・・」と一つの場所を提示してもらった。
それが、麦田トンネルだ!
中区麦田町にある麦田トンネル。今は一方通行道路として自動車が通行しているが、昔は路面電車用のトンネルだった。
路面電車が走る麦田トンネル(『懐かしの横浜市電(著・天野洋一)』より)
鉄道の軌道は無く、トンネル自体は改修されているが、山崎館長いわくトンネルの躯体などは当時のまま残っているのだという。
路面電車というだけあって、現在の国道や主要道など幅の広い道路で運行していた。そのため、現在は自動車交通の障害となるため、基本的に軌道などは残っていない。
市電保存館の館長でも、ここ以外に面影の残るところは思い当たらないそうだ。
取材を終えて
横浜の近代史を語る上で欠かすことの出来ない路面電車。
路面電車の完全撤廃の同年、横浜市交通局には初の市営地下鉄が開業している。
浅間下を抜ける市電(『懐かしの横浜市電(著・天野洋一)』より)
モータリゼーションの発達により避けることのできなかった路面電車の衰退も、形を変え、地下鉄として今も運行しているのだ。
ほとんど跡形も無く面影もほとんど見られないのは残念だが、当時の様子を知る人なら麦田トンネルに思い出をすり寄せることができるのかもしれない。
―終わり―
すかたんさん
2018年12月10日 10時08分
コアになりますが、滝頭の車庫・工場裏には道路向こうに、分工場がありまして、その引込み線の痕跡らしきものが、市電保存館の向かいにあります。参考文献は「鉄のワッカに生きる」、中央図書館に所蔵されています。
すかたんさん
2018年06月10日 00時06分
終点にその名残が見て取れます。六角橋、弘明寺、杉田はバス停を過ぎると車線が減りますし、山元町も103系統(往年の3系統!)の横浜駅行きバス停は昔の電停です。
さすらい日乗さん
2017年06月19日 10時56分
この麦田のトンネル付近が出てくる映画がります。今年亡くなった鈴木清順監督の『勝利をわが手に・港の乾杯』です。残念ながら、市電の映像はありませんが。