横浜市内に点在する杉山神社を全社制覇!vol.4
ココがキニナル!
横浜にはいたるところに杉山神社があり、「杉山神社」「杉山社」の名前で宗教法人登録されているだけで35社もあるそうです。とりあえず全部の杉山神社を回ってみませんか?(べいさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
前回に続き保土ケ谷区・旭区に分布する神社を調査。歩いて回れるほど密集する保土ケ谷区の杉山神社とぽつんと離れた旭区の杉山神社。謎はまだ続く。
ライター:ほしば あずみ
杉山社を合祀した上川井の神明社
相鉄線「鶴ヶ峰駅」からバスで20分程度、バス停「宮の下」を下車し、目の前にあるのが上川井町の神明社。バス停の名はこの神社に由来するもの。
「宮の下」のバス停は神明社の傍らにある
八王子街道沿いにある木の鳥居 境内は少し高く盛られている
鳥居に扁額(へんがく)はなく、ここが神明社である事を示すものは特に見当たらない。
地面から生えているように据えられた燈籠(とうろう)は1847(弘化4)年のもの
亜鉛葺(あえんぶき)の簡素な社殿。祭神は国常立命(くにのとこたちのみこと)
手水鉢の銘は読み取れず。
上星川の補修された手水鉢の元の姿はこんな感じだったのかも
境内にも由緒書などもないので、知らなければここが神明社だとはわからないかもしれない。『武蔵風土記』の上川井村の項にある神社6社は、明治期にこの神明社1社に合祀されたのだと思われるが、その手がかりは境内では得られなかった。
合祀された社? 詳細を知る人には出会えなかった
それぞれの杉山神社のおさらい
保土ケ谷区、旭区域の杉山神社で「小高い場所で川の方を向いて鎮座」にあてはまるのは7ヶ所まわってきて、西久保町と川島町のみ。星川の社殿は小高い場所だが川の方角は向いていない。
仏向町の杉山社は現在小高い場所だが以前は平地にあり、『武蔵風土記』では「東向き」と記されている。
上星川の杉山社は平地(ただし、道路から数段高い場所)で川の方角を向いているが『武蔵風土記』では「巽(たつみ)」(南東)を向いていると記されており、その場合は川の方角ではなくなる。
それぞれの神社の位置関係と社殿の向き
(仏向町、上星川、上川井は現在の社殿の向き)
上川井の杉山社は『武蔵風土記』によると、村の「西北の間丘上」にあり巽を向いていたという。具体的にどの場所であるかはわからないが、帷子川との位置関係を考えると、川の方を向いていた可能性はある。
ただ、社殿が「巽の方角」を向くのは杉山神社に限らない。太陽が昇る方角とも関係があり「巽の方角」や「東」を向く神社は意外に多い。
たとえば星川の杉山神社の社殿も「巽の方角」を向いており、「鳥居越しに海から太陽が昇るのが見えた」と平岡宮司の証言がある。
上川井にあった杉山社が帷子川の方を向いていたのか、単純に「巽の方角」であったのかはわからない。
社殿が川に向いていなくても見渡す事はできる
(星川杉山神社、帷子川方面の眺望)
杉山神社の特徴といわれる「小高い場所に鎮座」も、杉山神社固有の特徴とはいえない。神社や寺が小高い場所に祀られるのは、杉山神社に限った話ではないからだ。
まとめ
7社をまわってみると、やはり保土ケ谷区の杉山神社の密集ぶりが印象的だ。実際、和田町、仏向町、上星川、川島町は順に歩いてまわる事ができたほど近かった。
それだけに旭区の上川井にあったという杉山社の離れた感じがなおさら気になる。
だが、この点を含め、神明社との関係を論じるにはまだ早い。そこで、次回は神奈川区域の杉山神社をまわってみたい。
神奈川区も保土ケ谷区、旭区と同様に「榛谷御厨(はんがやのやみくりや)」の影響が考えられる地域である。区内には4社の神明社があり、そのうちの2社に杉山神社が合祀されている。
全杉山神社めぐりまで残り61社。果たして、新たな発見はあるのか?
―終わり―
さぶさぶろーさん
2013年03月13日 21時45分
挙げ足を取るようで申し訳ないですが、北条早雲の子は氏綱で、氏康は孫です。横浜市史稿が間違っているのか、こちらの記事が間違っているのかはわかりませんが、念のためお知らせしておきます。>『横浜市史稿』によると北条早雲の子、氏康・・・
ushinさん
2013年03月13日 15時50分
神明社と杉山社の合体とは、地域最強って感じだ。
とうさんさん
2013年03月13日 11時01分
記事の中に「八王子街道」って書かれているけど、横浜生まれ育ちの人は皆ほとんど国道16号って呼んでいるんじゃあないかな。