かつて動物園や植物園があった横浜の「ガーデン山」ってどんなところ?
ココがキニナル!
三ツ沢下町の通称ガーデン山は、昔は本当にガーデンだったと聞いたのですが、その当時の名残はあるのでしょうか。また、当時の写真など残っていたら見てみたいです(ときさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
大正末期から昭和にかけて、ガーデンは存在した。ガーデンを手がけたかつての大澤氏の邸宅の名残は公団住宅「ガーデン山団地」の庭園などに見られる
ライター:ほしば あずみ
当時の名残はあるの?(つづき)
邸宅周辺の土地は、古河電工や東京電力など企業の所有になったが、現在の大澤家の本家のすぐ向かいにある「松本中学校」は大澤家3代目の康雄さんにより寄贈され、2013年現在60年目を迎える。
旧大澤邸の敷地はほぼそのまま公団住宅「ガーデン山団地」となった。
「公団に譲渡する時に更地にしなければならなかったそうで、たくさんあった石灯籠も売却されたんです。それでも大澤邸にあった庭園の庭石などを再配置し、池も再現されました。既存の常緑樹なども残したそうです。大澤さんが集めた庭石には珍しい木の化石もあって、それは今でも見ることができますよ」(須貝さん)
ガーデン山団地現8号棟付近は旧大澤邸の車寄せがあったあたり。南庭通用門の石柱が移設されている。
背後のヒマラヤ杉も、団地のシンボルとして残されたもの(団地管理事務所の許可を得て撮影)
空襲で3分の1以上が黒焦げになったメタセコイア(ヌマスギ)も蘇生させ移植
大澤氏が入手したメタセコイアは戦前から有名だったそうで、1976(昭和51)年に横浜市の名木に指定された。
戦前の、池の中の大きな石や須弥山を表現したという築山の石は・・・
団地の池の中にきちんと配置されている
教えていただいた「木の化石」。大人の背丈以上ある巨石だ
1966(昭和41)年、320戸の「ガーデン山団地」が誕生した。団地では、横浜ガーデンのありし日をしのぶように「庭園鑑賞会」なども開かれるというが、ガーデン山の歴史を知らない人も増えてきた。
「団地には団地独自の自治会ができた事もあり、団地ができる前からの地域町内会である、ガーデン山自治会は、これまで深い交流というものはありませんでした。けれど少子高齢化社会を迎え、ガーデン山の歴史を知る人も少なくなった。これからは地域町内会の連合組織を発展させて、思い出を語り合う会合を持ったり、地元の歴史を子どもたちに伝えたりしていくような取り組みをしていきたいですね」と須貝さんは語ってくれた。
取材を終えて
横浜ガーデンや旧大澤邸へ向かう道の両側に植えられていた桜並木も、戦後の窮しい時代に家庭燃料として切り倒されるなどして姿を消したという。
今、かつて横浜ガーデンがあった辺りに咲く桜の古木は、民家の庭にある1本のみ。
この桜はもしかすると横浜ガーデンがあった頃を知っているのかもしれない。
横浜ガーデンの歴史を秘めた町は、その通称とさりげない名残で、思い出を今に伝えていた。
旧大澤邸へのアプローチだった坂道(下り方向で撮影)の桜。この道は昔、両脇桜並木だった
―終わり―
だみあんさん
2021年06月27日 09時47分
種苗カタログは大正10年ではなく15年ですよね。ローマ数字じゃなくて五です。
能鉄拳台さん
2018年03月02日 08時53分
庭園を造って地元市民に無料開放。昔の大金持ちは現代のセレブと違って、カッコいい銭の使い方をしていましたね(笑)
Michさん
2016年04月04日 12時52分
国土地理院の航空写真ライブラリを見ると1944年、1946年頃の航空写真で「横浜ガーデン」「大澤邸」「池」共に確認することができます。松本中学とガーデンの間の「雑木林」には、戦時中にあった捕虜収容所も確認できます。あと、ガーデン入り口付近には昭和の終わり頃まで「牧場」があり、「池」のあとには髙島屋の寮、「雑木林」の辺りは、日本鋼管の寮と野球のグラウンドがあったことを記憶しています。