横浜にこんなすごい会社があった!Vol.1「日本で唯一のモペット・メーカー フキ・プランニング」
ココがキニナル!
横浜にこんなすごい会社があった! 第1回は日本で唯一のモペット・メーカー フキ・プランニングをご紹介!
ライター:吉田 忍
社長はF1のレースカーを作っていた!
スケート靴の話の中で出てきた「コンセプトカー」という言葉が気になって、畔柳さんに伺ったところ、なんとフキ・プランニングではモーターショーに出るコンセプトカーの内装などの仕事もしているということがわかった。
どうしてそういう仕事をされるようになったか伺って、もっとビックリ。なんと、畔柳さんは、昔F1のレースカーを作っていた技術者だった!
そもそも、畔柳さんがレースカーの道に進んだのは、大学受験がきっかけ。
高校生の頃は岡山に住んでいた。「父親が大学教授だったので、大学生が身近で逆に大学に対してあまり夢や熱意を持てなかったのかもしれません」と畔柳さん。それでも、進路を決めかねて結局大学を受験することになった。
その受験で上京する際に乗った新幹線で、雑誌「プレイボーイ」を読んでいたら、そこにF1に挑戦する「マキ」というチームの特集があった。それを読んで「自分がやりたいのはこれだ」と思った。
一応、受験はしたが、受験後にその足で、マキに直接押しかけていって「入れてください」と直談判したそう。驚きの行動力と熱意だ。
マキというのは、1974(昭和49)年から1976(昭和51)年にかけてF1に参戦した日本のF1コンストラクター。自動車メーカーの後ろ盾がなく、プライベートチームとしてF1に参戦したのは、現在に至るまで、日本のチームではマキのみである。マキには後に「童夢」の創業者となる林みのる氏や「無限」を作った本田博俊氏などキラ星のようなレース界のカリスマがそろっていた。
「恥ずかしい」と言いながら、マキのマシンが掲載された雑誌と一緒に
いきなり訪ねた畔柳青年に林さんが直接面接をしてくれ、「やめとけ」と断られた。それでも、畔柳青年は諦めなかった。岡山に帰ってから、何度も何度も手紙を出し続けたところ、3ヶ月めにOKが出た。縁故以外では初の採用だったという。
両親には反対されたが、大学生が学生運動に明け暮れている時代だったので、最後には許してくれた。
そこでレーシングカーのシャーシー(自動車の車体)を作り、実際にレースでヨーロッパ各地をまわった。
レース黎明期で、なんでもありの時代だった。あーでもないこーでもないと、超一流の人たちと仕事ができた。
「何を作っても文句を言われなかった。いい時代でした」と回顧する畔柳さんの目は、少年のように輝いていた。
「F1にかかわったことは、騎士道精神やスポーツマンシップを知るいい経験になりました」と畔柳さん。
ヨーロッパの多くの国では今もモペットは一般的な乗り物。そうした文化に触れてきたことも、モペット製造につながるきっかけのひとつだ。
モペットの工場を見学
最後にモペットの工場を見学させていただいた。
美しい赤に塗装されたフレーム
F1シャーシーの経験から、フレームはアルゴン溶接で作られている。従来、自転車は低温溶接が良いとされており、アルゴン溶接では、振動に弱く持たないと言われていた。しかし、振動実験でも問題なく、世界の潮流はアルゴン溶接などだそう。
実際、フキ・プランニングのモペットを中国に持ち込み、チベットのラサまで走った冒険家がいるが、溶接部分とエンジンは全く壊れなかった。
1台1台丁寧に塗装されている
マフラーも手で曲げ、手作業で溶接される
ガソリンタンクもプレスから成形まですべて手作業
取材を終えて
横浜の日本一、ここだけの企業紹介シリーズ。第1回にあたり、できるだけ読者の方が知らないようなところをと考えて選んだモペットを製造するフキ・プランニング。
モペットのことを詳しく伺う予定だったが、世界記録のスケート靴あり、F1のレースカーを作っていたというびっくり仰天な社長の経歴ありで、終始圧倒される楽しい取材になった。
「横浜のすごい人紹介」シリーズに変更しようかと思ったほど・・・
― 終わり―
フキ・プランニング
http://www.fuki.co.jp/
さむ1120さん
2014年11月05日 09時27分
使ってみたいと思いました
i_corgiさん
2013年07月26日 21時29分
マキF1 、懐かしすぎる~~~~!
徘徊中さん
2013年07月26日 19時00分
フキパパですね~ 懐かしいです。 寺家町に居た頃には何度かお邪魔しました。モーターショーの内装やレーシングカーまで製作してましたね~ 「横浜のすごい人紹介」シリーズで間違え無いですよ! 編集部の方々今までの経緯を調べれば凄い人なのは分かると思います。