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川崎の戦争遺跡、戦時中日吉の連合艦隊司令部に国外からの情報を送っていた「蟹ヶ谷分遣隊地下壕」とは?

ココがキニナル!

昔、蟹ヶ谷に日本軍の通信基地があったそうです。具体的には何をするための施設だったのでしょうか?また、蟹ヶ谷のどのあたりにあったのでしょうか?(ねこぼくさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

蟹ヶ谷バス停のほど近くにあった海軍の通信施設・蟹ヶ谷分遣隊地下壕は、国内外の通信を傍受し、内容を日吉にあった連合艦隊司令部に送信していた

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ライター:細野 誠治

鈍色、草のいきれ、そこにあるもの

(つづき)


敷地脇に、一軒の農家がある。話を聞いてみよう。
 


敷地そばのお宅
 

出迎えてくださったMさん。78歳になられる


終戦時に8歳だったというMさん。とても上品なお祖母さま。
こちらに嫁いでいた格好だというが、ご実家も近くだったという。

「この辺りの地主さんはみんな、代替わりをしちゃってね、あの場所(蟹ヶ谷分遣隊地下壕)のことは分からない。もう分かる人がいないのよ」
そう、Mさんは仰られていたが、話をするうちに少しずつ記憶が鮮明に蘇ってきたご様子だった。
 


庭から見える景色の方々を指し「防空壕がたくさんあったの」と


「兵隊さんがたくさんいてね、ここの久末(ひさすえ)村の家でお風呂に入らせてあげてたの。寝る場所を用意してあげたり」

史料には「22棟の建物」とあったが、寝泊りをする場所ではなかったのだろうか? 
兵士たちの生活の面倒をみていた。おそらく、生活に戦争が入り込んできたという強烈な印象だったに違いない。
 


当時、一帯は久末村といった


「ご飯の支度もしてたかも知れない。この辺は全部、米農家だったし・・・」

——終戦のときのことは、覚えていますか?
「ううん。特には」
——地下壕は?
「入ったことない。・・・ただ、噂でね。戦争が終わったとき、村の人間が中に入って金物(かなもの)を盗っていった、って聞いたわ」
 


そうなのか?


「ボルトと高圧碍子が残存している」と史料には記述があった。通信で使われた機械や道具の一部を、誰かが持ち去ったか? そしてやってきた進駐軍が破壊を行ったのか。

今と、これからのことについて聞いてみる。するとMさんは「このまま放っておくしかないでしょ?」と。
 


放っておくしかない、現状維持


崩落があった、敷地から水やガスが出た。Mさんは「ガスが出た」ときのことを覚えていた。
「敷地の外の造成が始まったとき、大きな騒ぎになったね。役所や業者がいっぱい来て、5年くらいかな。工事が止まって。今は平気になったけど」

しばしMさんと夕立を眺める。
分からないことを追ってみて、分からないまま終わった。そして埋まったものは、もう日の目を見ない。
 


蟹ヶ谷分遣隊地下壕は史料と、地中に


Mさんにお礼をして敷地の外周を巡ってみよう。
 


Mさん宅の反対側は竹林になっていた
 

境界を示すフェンスがいろいろな箇所で埋もれてきている
 

敷地の南側に公園があった


公園を奥へ。敷地のギリギリまで迫ってみたい。歩を進めると空き地が。
一面の花畑だった。
 


野の花の、ヒメジョオンという花


戦争遺跡に一面の花。誰が植えたわけでもないのに。出来過ぎで「何なんだよ」と、心がかき乱される。
 


端まで行っても緑しかない




取材を終えて



平和とは何か。
筆者は昔、在日アメリカ軍のある人物に話を聞いたことがある(役職・階級は伏せる)。
学校を出たばかりで、ケツの青いルポライター気取りだったと思う。「平和とは何でしょうか?」と問う筆者に、その人は明確に答えた。
「平和とは、戦争と戦争の間を指します」
 


平和って何だろう?


正しい。「至言」だと言う人もいるだろう。でも「違うのではないか」とも思う。事象としての平和と、観念としての平和だ。

答えに、打ちのめされた記憶がある。それが今回の取材をしていて、脳裏に蘇った。

今回、筆者が追ったキニナルは、朽ちて消えかけているものを追ったのだと思う。僅かな史料と、地中にあり見ることのできないものだ。
人はどうか。川崎市平和館で「保存会」の存在を聞き、足跡を追いかけたが途中で消えてしまった。
戦後70年。証人すら、消えてしまった。
 


ここにある。でも入れない


戦争の記憶が消える。これは特段、珍しいことではない。
「現状維持」されたまま朽ちてゆく。どうするのか。

過去は、忘れなければ永遠か。もしそうならば、筆者の追った事実が少しだけ役に立ったか? 
そんな感想を持ったキニナルでした。
 


知って、考えて、忘れないことが今できる最善だと思います



—終わり—
 

川崎市平和館
住所/川崎市中原区木月住吉町33-1
電話/044-433-0171

蟹ヶ谷分遣隊地下壕跡
川崎市営バス・杉10系統「蟹ヶ谷」バス停より徒歩20分ほど
  
 

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  • 前に「過ちは二度と繰り返しません。今度こそ勝ちます」というブラックジョークがあったが、近代史においては「どこどこを侵略して自分のものにしよう」などと本気で思って戦争やってるような話はISIS位のもので、何らかの国際間の関係の中でそういう方向に向かっていったというのが実際のところ。「国民が飢えているのに軍備増強して戦争ごっこ」と北朝鮮を笑うが、大東亜戦争中の日本においても、地方は耐乏生活に我慢しながら、今では想像もつかないような軍需工場地帯が京浜地区にも広がっていた。そのとき日本人は何を思ってそれを選択したのか本気で考えない限り、アホの一つ覚えのように「戦争反対9条守れ」などと言っているだけで、本当の意味で戦争を回避する智慧は生まれて来ないと思う。だから戦争遺跡に触れて、アジテーターの語る反戦話ではない、その時の真実の歴史を聞かなければならない。

  • 平和とは与えられるものではなく勝ち取るものだ。戦争を拒むなら戦争に備えよ。

  • 最近の10代20代の若者で、日本が『第二次世界大戦』で米軍相手に戦って惨敗した事を知らない人が増えているそうな・・・。可能な限り、全国に点在する『悲惨な戦争の遺物』は出来得る限り末永く保存して後世にその悲惨さを語り継いでいくべき物かと。

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