20kmを踏破! 鎌倉街道はどんな道?【前編】
ココがキニナル!
鎌倉街道、大山街道などの街道を踏破して下さい。(jckさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
今回歩いたのは中区本町3丁目から港南区までの約11.7km。4車線の現代らしい自動車街道だが、そこかしこに昔の面影を見ることができた
ライター:永田 ミナミ
港南区は長い
さて、港南区に入って最初の信号、越戸橋交差点でちょっとした変化に気がついた
信号横の標識にいままでなかった「鎌倉街道」の文字が現れたのである
*クリックして拡大
鎌倉街道度が上がってきたぞ、と思ったら縦バージョンの標識も発見
と思ったら次の最戸橋交差点は
「鎌倉街道」ではなく「港南区」となっていた*クリックして拡大
何か違いがあるんだろうか。お、ラッキー
そんな京急の高架をくぐるとそこは
多くの人でにぎわう上大岡駅である
そして上大岡駅を通過すると250メートルほど先が笹下釜利谷(ささげかまりや)道路の起点
関ノ下交差点である
先ほどの「旧道入口」とこの「関ノ下」はつながっているのだが、ご興味がおありの方は繰り返しで申し訳ないが「下道」編までお待ちください。
というわけで交差点を渡り
港南警察署や港南区役所を過ぎて
すぐの桜道入口交差点の信号には「港南区」の文字
その50メートル先の港南橋交差点は「鎌倉街道」
鎌倉街道の標識と港南区との標識の違いはキニナルところだが、もう午後5時を過ぎているので問い合わせられないし、きょうのところは踏破が目的なので前進あるのみである。
ここは吉原交差点
かつてこの一帯に葦(よし)が生い茂っていたことからこの地名になったという
その先のこの左斜めに入る道、何かありそうな気配を感じ撮影しておいた
あとで地図で確認してみると、この道は緩やかに右に弧を描いて160メートルほど先でまた21号線に合流していることから、旧道の名残と考えてよさそうだ。ちなみにこの道から1本入ったところにある本願寺横浜別院の参道にもなっている。
よし、ひとまず公田を目指そう
ちなみに公田の地名は、古代律令制の班田における国家直属の田地のことであり、鎌倉時代には国衙領(こくがりょう:国司が管理する土地)のことをいう公田(こうでん)に由来するという。
というわけで日野立体交差点で環状2号線をくぐり
大岡川分水路でたまには空の写真でも撮ってみたりして
日野小入口の標識には「鎌倉街道」を確認
日野川を渡る橋の名は高橋
そして日野IC入り口付近の横浜横須賀道路の高架をくぐりぬけると
少しずつ風景も変わってくる
などと言っていると風情ある剥落系標識も趣を添えてくれる
この新橋交差点から分かれる道も旧道かもしれない
あとで地図で確認するといい具合に蛇行して港南台方面にのびていくのだが、23号線と交差した先あたりで整然と区画された住宅街のなかに溶け込んでいった。
このあたりから路傍に地蔵がならんでいたり
庚申塔(こうしんとう)が立っていたりしていい感じ
金井交差点の先にも庚申塔。庚申塔は通りが交差するところに多く建てられた
藤ヶ沢交差点のすぐ脇の植え込みにはさりげなく「のば口」と書かれた石標あり
そしてその先には野庭口交差点あり。このあたりからヒグラシが鳴きはじめる
そしてこの切り通しでヒグラシの声はぐっと濃くなる
上って下ったところで街道の反対側に見えた標識はそう
栄区の文字。おお、ついに横浜市最後の区にやってきた
ということはこの標識も、と通り過ぎざまに振り返る
そりゃそうか。向こうからやってくればここから港南区なのだった
以上、約5.8kmに渡って歩いた港南区でした。時刻は午後6時42分
いちばん暑い時間帯を避け午後3時に出発したのだが、午後7時からシネマリンで映画を観ようかななどと気楽なことを考えていた我が身の愚かさにヒグラシの声は優しかった。
暑さも一段落して後編へ
さて、中区2.5km、南区3.4km、港南区5.8kmと11.7kmほどを歩いてきたところで紙面が尽きた。引き続き鎌倉へと至る後編をお楽しみください。
ー終わりー
∵さん
2016年08月01日 09時03分
「もはや豪著」まさに。長野や福島あたりで「鎌倉街道」の名が出てくると、おっ、と思いますね。はまれぽさんで扱うのは無理っぽいですが…
よこはまいちばんさん
2016年07月28日 16時06分
中区本町4丁目から南区弘明寺あたりまでは・・・常時違法駐停車車両がひしめき合って実質片道1車線。地元警察もパトカーは走行していても気が向いた時にしか取締りせず、路線バスもバス停にキチンと寄せられない時も多々。何とかしろよ!(地元住民より)
あかねさん
2016年07月28日 01時12分
鎌倉街道と似ている道として「かまくらみち」もあるのでぜひ。おそらく本記事の鎌倉街道よりは短いですが。