横浜中華街にある各門には、どんな意味があるの?
ココがキニナル!
中華街に建つ各門の意味などについて知りたいです/中華街に、朱雀門と玄武門があるのに、青龍門と白虎門が無いのはなぜですか(きーさん/sho-shoさん)
はまれぽ調査結果!
門は全部で10基。中国の風水思想に基づいている。聖獣4体が東西南北を守っており、青龍門と白虎門がないのは、開設当時、台湾の華僑から名称への異論が出たため
ライター:福田としひこ
別世界への入口のような中華街の門
独特の色と形が印象的な中華街の門。別世界への入り口のような印象を与える。
中華街の門(牌楼〈ぱいろう〉)。形も色もさまざまだ(横浜中華街発展会協同組合より)
筆者は中華街を時々訪れるし、中国文化にある程度の知識を持っているつもりだが、今回のキニナル投稿の「各門の意味」や「青龍門や白虎門がない理由」については、たしかにキニナルところだ。
インターネットや図書館で調べると中華街の現在の門の建設を推進した中心人物は、中華街の老舗「萬珍樓」の社長である林兼正(はやし・けんせい)氏。さっそく、林氏に取材をお願いしたところ、趣旨を理解してくれ快諾してくれた。
4体の聖獣が中華街の四方を守護
林氏は横浜中華街発展会協同組合の理事長として、門の開設を主導した。華人(日本国籍を取得した中国人)であり、著書に『横浜中華街 街づくりはたたかいだ』、『なぜ横浜中華街に人が集まるのか』などがある。
門の意味について語る林氏
1892(明治25)年創業の萬珍樓。場所は善隣門の近く
門は正式には牌楼(ぱいろう)という。牌は文字が書かれた看板、楼は高い建物という意味。
林氏は「牌楼は全部で10基あります。中国の風水思想に基づいて建てられています」と話してくれた。
風水によると、門は邪の侵入から街を守り、繁栄、平安をもたらす。東南西北に位置する門は、朝陽(ちょうよう)門、朱雀(すざく)門、延平(えいぺい)門、玄武(げんぶ)門がある。
それぞれの門に守護神がおり、東の青龍(せいりゅう)、南の朱雀、西の白虎(びゃっこ)、北の玄武がいる。朱雀は鳳凰を思わせる赤い鳥、玄武は蛇のような頭部と亀の体を持つ黒い聖獣だ。
4つの門は、色、1日の時間、季節などに対応している。例えば朱雀門の場合、守護神は朱雀で、南に位置し、色は赤で、一日のうちでは昼、季節は夏を担当する。
風水による4基の門と意味
門の色や名前に異論が続出
門の開設は、簡単な道のりではなかったようだ。
現存する10基の門のうちの最初の門である延平門が落成したのは1994(平成6)年。
このころ中華街はどん底の状態にあった。バブル経済が崩壊し、その影響で来街者が激減した。横浜中華街発展会協同組合が発行している『発展会通信』第2号に掲載された1994年5月の調査によると、年間推計で来街者は1350万人。従来より450万人も減ったという。
門の開設にまつわる紆余曲折を語る
林氏が中華街発展会の理事長に就任したのは1993(平成5)年。厳しい環境の中、既存の門の改築、新たな門の新築に乗り出した。
林氏によると、新たな門の開設のねらいは「風水思想を基に、中華街の東南西北に門を設けて街を守るとともに、中国の伝統文化を紹介し、観光資源として活用すること」だった。
しかし、壁に突き当る。中華街の華僑社会(中国国籍を保持したままで海外に移住した中国人の社会)でも風水を占いの一種、迷信と考える人がいて、なかなか前に進めない。
門の色についても反対があった。北に置かれる門の色は、風水によれば黒。しかし、黒い門など見栄えがしないと怒られた。
林氏は、懐疑派、反対派を半年かけて懸命に説得したという。
門の説明がある案内版(左)とそれを背負う獅子
最も難航したのは門の名称。風水によれば西に位置する門の名は白虎門。しかし、台湾系の華僑から、白虎は性的な隠語だと強い反対が出た。
中国の古い文献を調べて別の名称を提案し、結局延平門とすることになったという。
青龍門については、白虎門への反対のあおりを受け別の名前にすることに。やはり中国の古い文献を調べて、朝陽門に落ち着いた。
中華街と門の位置(クリックして拡大)
風水への懐疑、色や名前への異論などを乗り越えて門の開設は進み、10基のうち最後の門「朝陽門」が2003(平成15)年に完成した。
門の開設当時どん底だった来街者の数は右肩上がりに回復。すべて門がそろってからの中華街は発展の一途をたどっている。
東と春を守る朝陽門、南と夏を守る朱雀門
林氏から得た知識をふところに、中華街の門の探訪に出発。
まず、みなとみらい線「元町・中華街」駅1番出口から近い朝陽門へ。
朝陽門。高さ13.23メートル、幅12.44メートルは中華街で最大
朝陽門に描かれている守護神「青龍」
鮮やかな青色の柱。守護神は青龍。この門は1日のうちでは朝の時間を守っている。朝の青い龍・・・そういう力士名を持った強い横綱がいたのを思い出す。
この門は方角では東を、四季のうちでは春を守る。
続いては、朱雀門。元町側から来ると、前田橋を渡ったところに建っている。
赤い門柱が際立つ。この門は南を守護する。1日のうちでは昼を、四季のうちでは夏を担当している。
朱雀門。赤色に彩られた牌楼
空へ突き出た門柱のてっぺんに守護神「朱雀」がいる
西と秋を守る延平門、北と冬を守る玄武門
JR石川町駅から徒歩4分ほど、みなと総合高校と港中学校の間に立つのが延平門だ。反対論がなければ白虎門になっていたはず。
延平門。白を基調とした牌楼
門柱の上にある守護神「白虎」の彫刻
方角では西を、1日のうちでは夕の時間を、四季では秋を守っている。
古来中国で強い動物と言えば龍と虎だが、その聖獣である青い龍と白い虎が中華街の東西を守護しているわけだ。
次に、横浜スタジアムの方から入る時にくぐるのが玄武門。この門は方角では北を、1日のうちでは夜の時間、季節では冬を守っている。黒い門など見栄えがしないと言われたそうだが、落ち着いた感じで、筆者は好感を持った。
玄武門。黒い柱がユニーク
玄武門に描かれている守護神「玄武」
最初に建った牌楼「善隣門」
善隣(ぜんりん)門は中華街大通りに入るところにある。先代の善隣門は1955(昭和30)年の竣工で、中華街で最初に開設された門だった。
善隣門。この牌楼に書かれた名前をきっかけに中華街と呼ばれる
当時の平沼亮三(ひらぬま・りょうぞう)横浜市長、内山岩太郎(うちやま・いわたろう)神奈川県知事のバックアップにより、華僑と日本人が力を合わせ街のシンボルとして牌楼を建てた。
街は当時南京街と呼ばれていたが、新しく開設された門には「中華街」の文字が書かれた。これをきっかけにして、この地域は中華街と呼ばれるようになったのだと言う。
なお、現在の門は2代目で1989(平成元)年の落成。
西陽門。中華街の西端にある
JR石川町駅の前に立つのが西陽(せいよう)門。 中華街の西には延平門があるが、西陽門は西端の、太陽に一番近いところに位置するところからの命名という。
さらに、中華街の中心に鎮座するのが商売の神様「関帝廟(かんていびょう)」だが、関帝廟通りの東端に立つのが天長門、西端に立つのが地久門だ。
天長門(左)と地久門。天と地という相補の関係にある
そして、いつもにぎやかな市場通り。道の両端に市場通り門2基が建って来客を迎える。
市場通りに建つ2基の門
中華街の10基の門をすべてまわった。萬珍樓社長の林氏から門と風水の関係などの知識を得ていたので、それぞれの門にまつわる名前、守護神、方角、色などを意識しながら、門の魅力を改めて認識することができた。
取材を終えて
門の取材を通して、中華街に対し新たな発見があった。ここは単なるレストラン街ではない。風水などの中国文化が根底にあって、それを生かした街づくりが行われ、来街者にその成果が披露されているのだ。
来街者が激減し中華街にどん底の時代があったこと、異論に対して懸命に説得し門の開設に至ったことなども新たな発見だ。
これらのことを知ると、風水など中華街の底流にある文化に、また、違った形の中華街の魅力に触れることができる。
―終わりー
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