横浜市電が海に沈んだ? 車両の魚礁化計画があったって本当!?
ココがキニナル!
横浜市電廃止後に車両が海に沈められ魚礁にされたと聞きましたが、謎に包まれたままです。名古屋や神戸などの路面電車は画像や映像があったのですが・・・真相は?(C.DAVIDさん)
はまれぽ調査結果!
市電車両の鋼材は魚礁に適すると分かり、県内で乗り物が魚礁化した事例や市電の魚礁化構想が記された書籍はあったが、魚礁化が実現した記録はない
ライター:紀あさ
再び横浜市電保存館へ
これまでに分かったのは「他都市には市電の魚礁化事例がある」、「神奈川県には乗り物(潜水艦)の魚礁がある」、「市電の素材である鋼は魚礁に適する」の3点。核心である「横浜市電は魚礁になったのか」は、まだ謎だ。
冒頭で紹介された市電講座の日、再び市電保存館へと向かう。
この日は、横浜鉄道友の会の八木義之(やぎ・よしゆき)さんが「市電と長谷川弘和さんとの思い出」との題で講演。
しでんほーる連続講座、第6回講師の八木さん
市電を調べ出すとすぐに分かるが、故・長谷川弘和(はせがわ・ひろかず)さんは、横浜鉄道友の会の元理事で、並々ならぬ市電への愛を持ち、電車一般というより、横浜市電こそを愛してきた。
筆者が「横浜市電の神様」の異名も持つ彼の著作を読んだ中で、彼の市電への思いを最も感じたエピソードがある。
横浜大空襲の翌日、「市電を生き物のように思っていた」長谷川さんは市内全域の市電の安否を一両ずつ確認し、「憲兵と特高(特別高等警察)の目を警戒しながら、消失車の位置と番号をメモ」し、焼けた車両の姿に「オゥーッ」と絶句するというものだ。
焼失車1002号。ロマンスカーと呼ばれた1110号も昇天(長谷川弘和著『横浜市電の時代』より)
市電の話に、長谷川さんとの思い出も満載の、興味深い講座でした
講座後の交流会の場で、集まった十数名に質問してみた。
「魚礁になった市電をご存じの方は?」
横浜鉄道友の会会員、現役地下鉄運転士、「しでんの学校」の方、市電ファンなど、市電ツウぞろいだが、誰一人知らなかった。
ひとりだけ「絵本の中だけの話では?」と回答してくれたのが、当時市電をよく使っていたという元町の森田満夫(もりた・みつお)さんだ。絵本か・・・。
結局、この日もこれといった手掛かりを得られず。館長から、廃止後の横浜市電に詳しい神奈川新聞の齊藤大起(さいとう・ひろき)記者に尋ねてはどうかと紹介を受け、保存館をあとにした。
新聞社でもまた絵本?
神奈川新聞は、1890(明治23)年創刊の県紙だ。もし魚礁化の事実があれば、何か知っている人がいる可能性は高い。
中区にある神奈川新聞社
市電廃止以降の生まれの齊藤記者は、魚礁化の事実は知らないそうだが、横浜市電をテーマにした有名な絵本があり、その中には魚礁の話が書かれていることを教わった。
また絵本・・・!
その絵本、読まなくては! と図書館に向かった。
京浜急行線日ノ出町駅徒歩5分、横浜市中央図書館
絵本のタイトルは『はしれぼくらのしでんたち』(長崎源之助・文 村上勉・絵)。
本の中には、引退後「公園遊具」になる、「図書室」になるなどさまざまな第二の人生を歩んだ市電たちが描かれている。
ほかの本を調べてみると、市電は引退後、いろんな場所に引き取られたようで、絵本の内容と類似する。中には絵本に描かれた車号までが、史実と合致するものもあった。
これが照らし合わせた史実。供出車両一覧表(長谷川弘和著『横浜市電が走った街今昔』より)
表紙の「わかめぶんこ」は図書室になった市電として実在。車号も1503だった
そして「魚礁になった市電」のシーンが!(『はしれぼくらのしでんたち』より)
絵本作者の長崎源之助(ながさき・げんのすけ)さんは、どのように市電を見つめてきた人だったのだろうか・・・。
絵本の中の話がどの程度事実と同じなのか推測するため、各頁のディテールを何度も見つめる。
たとえば、絵本の中に登場する500形と、1500形の車両は、本来は車輪の数が違うはずだ。しかし、作中で並んだ姿を見ると、車輪の数に違いはないので、鉄道ファンではないかもしれない・・・など。
絵本を真剣に検証中
そしてふと、表紙裏にご本人の住所が載っていることに気付いた。
井土ヶ谷在住
古い本だと、こうした作者情報を載せていることがある。近年の住宅地図でまだ住み続けている気配だったので、電話帳から番号を調べダイヤルすると、奥様の和枝さんにつながった。
ご本人は亡くなられており、残念ながら奥様ではどこまで事実に基づいて描かれたかどうか分からないとのことだが、「わかめ文庫の代表だった簡(かん)さんなら分かるかもしれないわ」と簡さんを紹介していただいた。
結論を言うと簡さんもご存じなかったが、彼女のわかめ文庫の話が大変面白かったので、記事を後日改めて紹介したい。
元運転士が書いた、『チンチン電車始末記』
さらに中央図書館で市電関係の本をどんどん読んでいると、ついに魚礁化の記述にあたった。元市電運転手の依田幸一(よだ・こういち)さんが書いた「チンチン電車始末記」の終節だ。
県が「魚のアパートにしようと計画した」! おおー・・・!!
依田さんの連絡先も奥付にあったが、亡くなっておられた。ここで手がかりは途絶えたか・・・。
しかし、やっと見つけ出した唯一の魚礁化記録の本! と、よくよく読むと、かなしん出版から出されており、謝辞を見ると、著者の依田さんと、編集長だった渡辺允(わたなべ・まこと)さんとは懇意の様子。
かなしん出版は2002(平成14)年9月まであった神奈川新聞社の関連会社だ。新聞社が渡辺さんの連絡先を知っているのではないだろうか?
魚のアパート計画が浮上(想像図)
齊藤記者に聞くと、渡辺さんは退職しているがご存命で、近年まで神奈川新聞社のOB会長だったとのこと。同社総務経由で渡辺さんに連絡をとることができた。
電話で話を伺うと、渡辺さんは同書の担当編集もしており、横浜市交通局が1972(昭和47)年に市電廃止記念で出版した『ちんちん電車 ハマッ子の足70年』の筆頭編集としても名が残る市電に大変詳しい方だと分かった。
しかし、「知る限りでは魚礁化の計画が具体的になったことはなかったと思います。具体化していたら記事にするはずですから」という。
『ちんちん電車 ハマッ子の足70年』と、その奥付
ちなみに名古屋同様に魚礁があった神戸では、神戸市交通局刊の書籍『さよなら神戸市電 : 写真でつづる54年の生涯』などの中に魚礁になった記録が見受けられる。
当時の横浜の地元新聞社所属で、横浜市交通局刊の記念誌の編集者であった人までもが横浜市電が魚礁化した事実を知らない、ということを本調査の最終的な結果としたい。おそらく横浜市電は、魚礁にならなかった。
こうした魚礁化はなかったのだろう(『名古屋を走って77年』名古屋市交通局刊より)
「当時、路面電車は、(どの都市でも)みな市民に親しまれていました。横浜市電は、市民の足、お上ではなく横浜商人と呼ばれる人たちが作ったもの。朽ちていくよりはと思ったのでしょうね」と、渡辺さんは昔の話を優しい声で教えてくれた。
「けっこう昔は市電が速かったんですよ。私が神奈川大学の学生のころ、『東横線の桜木町駅から白楽駅まで乗って、白楽駅から神奈川大学まで歩く』のと、『桜木町駅前から市電に乗って六角橋で降りて歩く』ので競争して、市電の方が速かった。そういう時代もありました」
なんだか、はまれぽみたいだ。
いつの世も、都市交通は、街そのもののように、そばにあるものなのかもしれない。
取材を終えて
かつてなく多くの方々に話を聞きながら辿った市電の歴史。
最後に、中央図書館には過去の朝日新聞と読売新聞の表題検索ができる端末があり、そこで市電絡みの記事をひたすら調べたところ、こんな記事があったことも紹介したい。
横浜市電バスが海へ落ちたという 朝日新聞(1929/5/6)
魚礁としてではないが「横浜市営交通の一部が今も近海に沈んでいる可能性」は、あり得るかもしれない。ただこの「市電バス」が一体市電なのかバスなのかというと、車号や状況からバスのような気もする。
実はこの取材を始めるにあたって、市電が海に沈められたら悲しくないかと、頭の片隅で引っかかっていた。電車として生まれたなら、海ではなく陸で余生を過ごしたいのではないだろうかと、考えていた。
調査する中で、解体される市電の写真を見た時に、その疑問が解けた。
こうならせたくは、なかったのだ(『ちんちん電車 ハマッ子の足70年』より)
―終わり―
関連情報
「しでんほーる連続講座」(横浜市電保存館敷地内しでんほーるにて月一回程度開講)
第7回は、6月24日(土)市電の想い出 ~市電OBにお話を聴く会~
取材協力
横浜市電保存館 http://www.shiden.yokohama
神奈川新聞社 http://www.kanaloco.jp
神奈川県水産技術センター http://www.pref.kanagawa.jp/div/1730/
同100年の歩み http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f430694/p747125.html
レトロ電車館(愛知県日進市)
http://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/ENJOY/TRP0000498.htm
市営交通資料センター(愛知県名古屋市)
http://www.kotsu.city.nagoya.jp/jp/pc/ENJOY/TRP0000497.htm
愛知県農林水産部水産課漁港・漁場グループ
参考文献
はしれぼくらのしでんたち 長崎源之助・文 村上勉・絵 偕成社
チンチン電車始末記 依田幸一著 かなしん出版
横浜市電が走った街今昔 長谷川弘和著 JTBキャンブックス
横浜市電の時代 長谷川弘和著 大正出版株式会社
ちんちん電車 ハマッ子の足70年 横浜市交通局
市電残像 名古屋に路面電車があった頃 加藤幹彦写真集 人間社
市電写真集 名古屋を走って77年 名古屋市交通局
さよなら神戸市電 : 写真でつづる54年の生涯 神戸市交通局
(神戸市中央図書館調査資料課のご協力をありがとうございました)
「人工漁礁における生産効果の推定の一方法」 清水詢道
相模湾資源環境調査報告書1979 「神奈川県における人工魚礁について」清水詢道
鋼製およびコンクリート魚礁の比較試験 神奈川県水産試験場
CBC放送 新そこが知りたい「名古屋に市電が走った日」(2000/5/4OA)
(テレビ画像の静止画は、著作権法32条1項の引用規定に沿うことを、同法管轄省である文科省に確認の上、引用させて頂きました)
朝日新聞(1929/5/6)
ロイター(2008/5/17)
http://www.reuters.com/article/us-subway-reef-idUSN1643767620080517
まさきち557さん
2017年06月22日 21時04分
面白い。金の掛かったTVの特番みたい。良くこれだけ調べましたね。思わず読みたくなって本日その絵本を図書館で借りてきてしまいました
みけにゃんさん
2017年06月22日 20時47分
かなり、長旅でしたね。
楽しく読ませていただきました。
なぜ海に沈めてしまったんだろうと、ずっと疑問に思いながら読んでいましたが、
最後の写真を見て納得しました、頑張って走った市電が、バラバラになるのは、耐えられなかったんですね。
陸の次は海で、第2の人生を、たくさんの魚に囲まれて過ごしている、と思えば、悲しくないですね。
ありがとうございました。
だるま急行さん
2017年06月20日 21時05分
横浜市電バスは、横浜市電気局が営業していたバスっていう意味でしょう。従ってバスだと思いますね。