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関東大震災、横浜大空襲を乗り越えた「大口通商店街」の歴史とは?

関東大震災、横浜大空襲を乗り越えた「大口通商店街」の歴史とは?

ココがキニナル!

大口通商店街は横浜駅周辺が開発されるまでは最大の商店街で、当時は「大口銀座」と呼ばれるほど賑わっていた。関東大震災、空襲でも焼け残ったという大口通商店街の歴史を取材してみませんか。(ねこぼくさん)

はまれぽ調査結果!

横浜有数の大口通商店街は、明治末期・大正時代には既に店が並んでいた。昭和・平成時代を「良い品を安く親切に消費者へ」をモットーに発展し、令和のいま、地域との“共創”による街づくりを展開している。

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ライター:池田 恵美子

スーパーマーケットの登場


 
大口通商店街に隣接する、あけぼの通商店会に相鉄ローゼン大口店が出店したのは、1969(昭和44)年。戦後開業した「子安曙映画劇場」の跡地に建てられ、2018(平成30)年に閉店するまで約50年もの間、地域の人々の生活を支えてきたスーパーマーケットだ。「跡地にはまたスーパーマーケットができるらしいよ」と近所の人が教えてくれた。
このような何でも揃う大手スーパーマーケットが全国に出店していく時代が到来する。
 


「あけぼの通商店会」に、相鉄ローゼン大口店があった

 
 
 

横浜駅周辺の復興


 
横浜駅周辺は、戦後米軍に接収され復興が遅れていたが、1955(昭和30)年以降、開発が進んでいく。西口の横浜高島屋は、1959(昭和34)年にオープンし、今年開店60周年を迎えた。その後、ダイヤモンド地下街が1964(昭和39〉に開業し、西口にダイエーがオープンしたのは、1972(昭和47)年のことだ。
ルミネ横浜店が1980(昭和55)年に、そごう横浜店が1985(昭和60)年に開業し、「ショッピングは横浜駅周辺で」という時代に移っていった。
また鉄道沿線には、東急ストアなどのスーパーマーケットも相次いで誕生し、大口通商店街に足を運ばなくとも買い物ができる住環境が整っていく。

昭和60年代以降、大口通商店街にも、チェーン店がオープンしていく中で、昔からの商店が閉店を余儀なくされた。ほかの商店街と同様、大口通商店街の運営が難しくなった。
客が自由に商品を選ぶスーパーマーケットのスタイルは、対面販売が基本だった小売りの有り様を大きく変えたのだ。
 


昭和50年代の大口通商店街の風景(提供:大口通商店街協同組合)
 

店頭に商品が並ぶ(提供:大口通商店街協同組合)

 
 
 

平成の大口通商店街、「まちづくり協定」


 
平成に入ると、大口通周辺にマンションなどが建ち始め商店街の姿が変わっていく。1階は店舗で2階以上がマンションとなり、商店街を歩くと、建物が迫って見える。建築物の立替え等により商店街の連続性が損なわれようとしている。
そこで、街のルールを再検討した大口通商店街協同組合は、「横浜市地域まちづくり推進条例」にのっとり、商店街の賑わいを壊しかねない建築やテナント等について、大口通商店街らしさを壊すことのないように誘導するなど、商店街の街づくりルールを定め、商店街としての景観を保っていくことに尽力している。
 


マンションも目立つようになった大口通商店街

 
 
 

渡邉理事長が語る商店街の未来


 
大口通商店街協同組合の渡邉誠理事長(67歳)が経営する洋品店「つるや」が開店したのは、1951(昭和26)年。翌1952(昭和27)年生まれの渡邊さんが2代目後継者として、店に立ち始めたのは29歳の時から。
約70年に及ぶ歴史の中で、オイルショック、バブル経済の崩壊、デジタル時代の到来、平成不況という荒波を乗り越えてきた。「経営の大変だった時代は・・・」と問いかけると「いまです」と言ってこう続けた。

「近年は店主の高齢化や後継者不足による空き店舗の増加が懸念され、シャッター通りとなることなく商店街としての連続性を保つことが急務です。今という時代は、物販が困難な時代になっています。ネット時代にあって、店を構えて物を売る商売そのものが難しくなっているのです。ここ大口通商店街だけのことではありません。こうした時代にあって地域の住民と共生し創る“共創”のまちづくりが大事だと考えています。買い物に来た高齢者のために通りに椅子を置いて休んで頂いていますが好評です。さらに地元の小・中学生には、商店街での体験学習を10年以上実施し、これまでに2000人以上の生徒を受け入れてきました。こうした共創を通して“暮らしに役立つ、笑顔とふれあいの街”にしていきたいです」
 


「“共創”のまちづくりが大事」と話す、渡邉誠理事長(洋品店「つるや」2代目社長)

 
商店街で、蕎麦屋と洋品店で学習体験をしていた子安小学校3年生達に出合った。元気な声で「ありがとうございます」と言って、商品を包みレジを打つ子ども達は楽しそう。明日の大口通商店街の“共創”の姿がそこにあった。
 


2018年のハロウィンイベント。商店街で毎年開かれている(提供:大口通商店街協同組合)
 

そば処「もりしげ」で学習体験する子安小学校3年生
 


洋品店「つるや」での学習体験。包装しレジを打つ子ども達

 
大口通商店街は、投稿にあるように、関東大震災、横浜大空襲という激動の時代を乗り越えて発展してきた。
全国的に商店街の衰退が伝えられて久しいが、世紀を越えて大口通商店街が存続しているのは、「地域住民に愛され続ける商店街」という熱い思いであることが、取材を通して伝わってきた。
 
 
 

取材を終えて


 
まず、取材に協力して下さった大口通商店街協同組合の渡邉誠理事長に謝意を表したい。
筆者は、数年ぶりに商店街を訪ねたが、「良い品を安く親切に消費者へ」のモットーが、今も息づいていて嬉しかった。
今年6月、大口通商店街協同組合は誕生70周年を記念して祝賀会を行った。10年後の80周年の時、商店街はどのように変わっているだろうか。
 
 
-終わり-
 
 
取材協力
大口通商店街協同組合
住所/横浜市神奈川区大口通7-4
電話/045-421-2996
http://o-guchi.yokohama/

参考文献
神奈川区誌編さん刊行実行委員会編集兼発行『区制施行五〇周年記念神奈川区誌』(昭和52年10月発行)
横浜市総務局市史編集室編集『横浜市史Ⅱ第一巻(下)』(横浜市発行・平成8年3月発行)
横浜市市民局総務部住居表示課編集・発行『横浜の町名』(平成8年12月発行)
神奈川区役所編集・発行『広報よこはま 神奈川区版』(平成29年1月号)

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  • 量販店や巨大なショッピングモールも時々はいいけど、住むならこういう商店街の徒歩圏内かなと思います。どっちも可能な横浜はすばらしい。

  • 大口駅側には80年代までユニーの西洋風な建物が営業してましたね。国道1号線側には模型店があったと思います。ローゼンも屋上が閉鎖される前はゲームコーナーがありました。あの駄菓子屋さんはまだ営業してるのでしょうか?大口商店街は本屋さんによく通ってた記憶があります。あの頃はなにもかも大きくて輝いてましたね〜…。

  • SUESUEさん、当方近隣住民ですが、ローゼン跡地は4階建てに物販店舗が1(なんの店かは不明)と50床の老人ホームとのことです。ご参考まで。

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