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六角橋商店街が、地下鉄駅の建設誘致に反対したって噂は本当?

ココがキニナル!

その昔、六角橋商店街が地下鉄誘致に反対したという噂を聞きましたが、本当ですか?(WELLさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

噂は誤解で、実際に反対したのは六角橋商店街に隣接する「西神奈川三丁目商興会」の一部。地元では、むしろ賛成だった人も多かったようだ。

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ライター:河野 哲弥

幻の市営地下鉄「六角橋駅」の経緯を探る

神奈川区にある六角橋商店街は、その発祥を戦後のヤミ市にさかのぼる、レトロな景観でおなじみの商店街だ。最寄り駅は、東急東横線の白楽駅になる。

投稿によれば、この商店街の近くに、地下鉄駅の建設計画があったようだ。まずは、六角橋商店街連合会の石川会長に、事実確認をしてみた。
 


六角橋商店街連合会の石川会長


すると、地下鉄駅の計画があったのは事実だが、むしろ「そのようなウワサがあるようですが、困っています」とのこと。六角橋商店街として反対していたことはないというのだ。

石川会長によれば、当時の横浜市営地下鉄の計画案は、「横浜上麻生道路」に沿ったものであったらしい。したがって、反対していたのは、その道路周辺にある、西神奈川三丁目商興会ではないかとのこと。
 


地下鉄の建設予定線と、各商店街の位置図


横浜市営地下鉄の建設がはじまったのは1968(昭和43)年。当時は掘削工法といって、道路や周辺の土地を掘り起こさないと、地下鉄工事はできなかったらしい。その点、六角橋商店街は、「横浜上麻生道路(地下鉄予定線)」と直交する位置にあるので、工事の影響はあまり受けないと考えていたそうだ。

一部インターネットなどで、「六角橋商店街が反対」という表記があるが、おそらく「六角橋“付近の”商店街」という意味で使われているうちに、いつの間にか代名詞のように扱われてしまったのだろうと石川さん。現在、訂正の要望などを、各サイト運営者に求めているとのこと。

そこで今度は、西神奈川三丁目商興会の会長を紹介していただき、いま一度、事実の再確認を行ってみることにした。



当時の様子を知る人は、すでに70歳以上

西神奈川三丁目商興会の会長、平林さんによれば、半世紀も前のことを詳しく知っているのは、町内でもほんの数人しかいないのではないかとのこと。地下鉄誘致反対派の旗手であった I さんという方も、つい先頃お亡くなりになったそうだ。

そんな中、「丸藤酒店の浮島さんなら、いまだお達者なので、話が聞けるのでは」という。さっそく同店を訪ねてみることにした。
 


作業中の浮島さん(右隅)と、丸藤酒店外観


浮島さんによれば、当時、 西神奈川三丁目商興会をはじめとした地元の多くの人は誘致には賛成であったものの、 I さんを中心に地下鉄駅建設の反対運動が行われていたのは、間違いないそうだ。

 


浮島さんの記憶をもとに再現した、市営地下鉄(ブルーライン)の建設案


当時、市が最も望んでいたのは、横浜~新横浜を一直線に結ぶ上図A案だった。最短路線なので、工事費も安く済むし、所要時間も短縮できる。しかし、さんにとって一点、懸念する点が。上図A案は神奈川大学周辺を通るのだが、実は、これが さん宅の真下にあたる。 さんが反対した理由の一つには、このことがあるとされる。

一方、上図B案が採用されてしまうと、西神奈川三丁目商興会の客足が、横浜の中心部に流れていってしまう可能性がある。

これらを懸念した I さんは、建設期間中の同商興会への損害などを理由に反対運動を起こし、町内の古老・長老と呼ばれる実力者たちを説得。西神奈川三丁目商興会のほか、六角橋周辺全般の有力者の意見をとりまとめて、横浜市などに提出していたという。


 


年季の入った、西神奈川三丁目商興会の会員名簿


そうなると、この反対運動は、個人の思惑によるところが大きく、そのほかの一般住民の声が反映されていないのではないか。このことについて浮島さんは、「今思えば強引だったかもしれない。建設に賛成していた人も多かったから、後々、( さんのことを)白い目で見る人も少なくなかったのでは」と話す。