横浜の給食パンといえば「かもめパン」!? その名前の由来を教えて!
ココがキニナル!
「横浜の小学生の身体の1/3はかもめパンでできている?!」という噂の「かもめパン」。名前の由来など色々とキニナリます。(takedaiwaさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
名前は戦後、県鳥が「かもめ」であることと響きが横浜らしいという理由で、県庁食料課に命名された。現在も約4万人の児童がかもめパンを食べている。
ライター:ナリタノゾミ
みなさんは、小学校時代に食べていた給食パンが、どこの業者によって製造されていたかを覚えているだろうか。
横浜育ちの知人に尋ねても、覚えている者はおろか、そもそも知らないという者が大半だ。
それにもかかわらず、「横浜の小学生の身体の1/3はかもめパンでできている?!」との噂が立つほどに、横浜市のある地域では「かもめパン」が小学校給食にまつわる話題として頻繁に取り上げられてきたのだろうか。
地元横浜に生き続けている「かもめパン」
大正から昭和、平成という時代を生き続け、地元横浜に深い根を張りながら、変わらず堅実にパンを焼き続けているという「株式会社かもめパン」。
噂の理由を探るべく、南区永田東にある同社を取材した。
株式会社かもめパン常務取締役、藤江秀機さん。笑顔が素敵で気さくなお人柄
お話を伺ったのは、株式会社かもめパン常務取締役の藤江秀機さん。藤江さんご自身も横浜市のご出身。
「小学生時代は給食でかもめパンを食べてたよ」とのこと。現在でも1日1食はかもめパンという生粋のかもめパン党である。
「毎日食べても飽きないよ」。その言葉の背景に見えた、かもめパンの魅力に迫ってみる。
かもめパンの創業は大正13年
1924(大正13)年に米菓製造会社「三河屋」として創業した同社は、後に「神奈川県食産工業株式会社」と社名を変え、昭和20年代にパンの製造を開始した。
戦後の食糧難に瀕し、神奈川県庁は同社に対して、労働者向け配給用のパンの生産に着手するよう緊急指令を下した。「かもめパン」という社名はこの後、県庁食糧課から命名されたものだという。
「かもめ」が神奈川県の鳥として指定されていたこと、大港湾都市横浜にちなむことから、この名前に決まったそうだ。
会社に隣接している工場
「かもめパン」の給食シーンへの参入と現在
かもめパンが給食用のパンを扱い始めた昭和20年代は、学校給食の制度そのものが駆け出しだった頃である。
同社が扱う給食パンの変遷を記した資料は残っていないが、記憶をたどると、コッペパンから徐々に種類が増え、その間、市の給食パンの規格改定に伴う変化も遂げてきたという。
ちなみに、横浜市の学校給食の変遷については、過去の調査記事を参照してほしい。(「ハマっ子の成長に欠かせない学校給食の仕組みとは?」)
「納品している学校数が横浜市の業者の中でも多い方だったから、記憶に残っている人もいるかもしれない」と、藤江さん。
「かもめパン」という名前を聞くと、小学校にかもめパンの搬入トラックがやってきていたことや、社会科見学で工場を訪れたことを思い出す人もいるようだ。
現在は、横浜の市立小学校345校のうち、南区・西区・中区・戸塚区・鶴見区・神奈川区を中心とした79校の給食で15種類のパンが採用されているという。
横浜の市立小学校の児童数約19万人のうち約4万人、すなわち、市立小学校に通う児童の約5分の1がかもめパンで育っていることになる。
社名の親しみやすさとともに、給食パンの老舗として配送地区の市民の記憶に定着してきた経緯から、キニナル投稿の「噂」が立ったのかもしれない。
大人だってかもめパン
工場と隣接して、バス通り沿いに構えられた直売所「イート・イン シーガル」を訪れた。
ここへ来れば大人でも確実に思い出の味をゲットできる。
古き良き昭和の香りを残す看板
店内は焼き立てのパンの香りであふれている