かつて動物園や植物園があった横浜の「ガーデン山」ってどんなところ?
ココがキニナル!
三ツ沢下町の通称ガーデン山は、昔は本当にガーデンだったと聞いたのですが、その当時の名残はあるのでしょうか。また、当時の写真など残っていたら見てみたいです(ときさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
大正末期から昭和にかけて、ガーデンは存在した。ガーデンを手がけたかつての大澤氏の邸宅の名残は公団住宅「ガーデン山団地」の庭園などに見られる
ライター:ほしば あずみ
「ガーデン」って何?
横浜市営地下鉄「三ッ沢下町」駅のそば、国道1号に「ガーデン下」という交差点がある。周辺の建物も「ガーデン山〇〇」「〇〇ガーデン山」とつくものが多い。地元商店会も「ガーデン山商店会」だ。
実は、「ガーデン山」という住所は表記上存在しないが、三ッ沢下町駅付近一帯は通称として「ガーデン山」と呼ばれている。
googleマップで見ても充実のガーデンっぷり
このあたりのどこにガーデン(庭)があったのか。それはいつ頃の事で、どんなものだったのか。
地域の歴史をひもといてみると、由来は大正時代にさかのぼった。
1923(大正12)年9月1日に起こった関東大震災後、東京の築地から三ツ沢の地へ移り住んできたのが大澤幸次郎という人物。
大阪から上京し、証券取引の成功で一代にして財をなし、一説によると39歳で隠居生活に入ったという。
大澤幸次郎氏が大正初期に購入していた三ツ沢の土地は、総面積約7万坪(約23万㎡)だったというから、横浜スタジアム約9つ分もの広さ。現在の公団住宅ガーデン山団地や市立松本中学校にかけての一帯、当時大森山と呼ばれていた丘陵と谷間のほとんどが含まれていた。
かつてここにかかっていた橋から北の丘陵が大澤家の土地だった
現在は「三ツ沢せせらぎ緑道」として暗渠(あんきょ/ふたをされた水路)化されてしまったが、かつて滝の川に鶴亀橋という橋がかかっていた。
幸次郎氏と長男の幸雄氏は、その橋を渡って左側の山頂部分に邸宅と庭園を築いたが、それに先立って東側一帯(橋からの坂道の北側の丘陵)、稲荷山と呼ばれていたところに、大規模な植物園を造った。
これが「ガーデン」の由来となった「横浜ガーデン」だ。
やがて横浜ガーデンと大澤邸を含めた一帯はガーデン山、鶴亀橋は「ガーデン橋」と呼ばれるようになった。
ガーデン橋は、後に大澤家によってコンクリートに改修され、市に寄贈された。
暗渠化される前のガーデン橋(まちづくりコーディネーター吉田洋子氏、大澤家 提供)
資料や証言をもとにおよその位置を重ねてみた
当時の横浜ガーデンの様子は?
「横浜ガーデン」は当時では珍しい洋風の温室や花壇を連ね、藤棚や噴水もあった。温室ではバナナ、ヤシ、パパイア、メロン、といったフルーツや洋ラン、カトレアなどの花が栽培され、熱帯魚や爬(は)虫類も飼育。
小動物園もあり、クジャク、ホロホロ鳥といった鳥や、ヤギ、ブタ、ウサギなどの家畜、サルなどがいた。
そしてこの「横浜ガーデン」は市民に無料で公開されていたのだという。
正門の両脇には大きなブロンズのライオン像があった事が、遠足等で訪れた人の証言として複数語られている。
記憶をもとに1982(昭和57)年に描かれた横浜ガーデン
(まちづくりコーディネーター吉田洋子氏、大澤家 提供:以下同)