大岡川の源流までってどうなってるの?
ココがキニナル!
横浜市内を流れる主な川の源流(水源地)を巡る旅、というのはいかがでしょうか。(吉閥さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
今回取り上げるのは、かつてより川の恩恵によって産業が発展してきた大岡川流域。源流のある円海山にたどり着くまでに数々の歴史的スポットを通過する。
ライター:ナリタノゾミ
桜の季節は、弘明寺から都橋のあたりまで続く桜並木を見ながら散歩する方も多いのではないだろうか。この弘明寺-都橋間は、横浜屈指の花見散歩コースである。
桜の季節の大岡川。宮川橋からの眺め
今回、弘明寺-都橋間は散歩コースとしてよく知られていることから、その先の上大岡からスタートし、大岡川の源流域(円海山)を目指すことにする。
上大岡からスタートする。京急上大岡駅前
川の恩恵によって、かつてより産業が発達してきた大岡川流域には、発展史を物語るスポットも多い。その一部を紹介しながら、源流のある円海山まで歩いてみよう。
上大岡駅より徒歩5分ほどの場所にある青木橋からの眺め
氾濫を繰り返してきた川
大岡川の全長は約14キロメートル。
かつてより幾度となく洪水が起こり、流域の村や街に災害をもたらしてきた。
ちなみに、過去、最も大きかったと伝えられている洪水は、1707(宝永4)年の富士山の噴火の際のものであった。火山灰の堆積により、大岡川は各所でせき止められ、水が田畑へ流出し、周囲の村々に甚大な被害をもたらした。
そんな災害多き大岡川であるが、過去の氾濫で深刻な被害を受けたものの、粘り強く存続している神社がある。
京急上大岡駅から徒歩5分ほど歩いた場所にある、青木神社だ。
碑によると、本来、対岸の大久保町にあった当社は、1786(天明6)年の大岡川の大洪水による地滑りで、社殿が上大岡側に押し流され、この場所に到達したのだという。
対岸の大久保町からはるばる流されてきた青木神社の社殿。
今の場所にしっかりと根付いている
青木神社の脇の遊歩道。
対岸の大久保町には戦前まで花街があったというが、現在は閑静な住宅街
青木神社を後にし、大岡川に沿うように走る笹下釜利谷道路を進むと、やがて見えてくるのが、大岡川水門(笹下2丁目)だ。川の氾濫対策として、1981(昭和56)年に設けられた。
威圧感のある門
水門の向こうは、広々とした取水庭となっている。このあたりは、水門ができる前は大きな氾濫原を形成しており、その土地は北見家のものであった。
北見家の祖先は、遠く室町時代の人物で、このあたり一帯の指導者だった。
上流から勢いよく流れ込んできた水が、ここで勢いを弱める
かつて北見家の土地であったことを記す碑が建っている
さて、笹下釜利谷道路沿いを歩いていると、右手に、「パンダ焼き」なる旗がひるがえっているのを見つけることができるだろう。
「パンダ焼き」は、「手作りの店 パンダ」の看板メニューだという。
ひるがえる旗に、思わず足を止めてしまった
「お店の名前がなかなか決まらずに、パッと付けた名前が、『パンダ』だったんです。パンダ焼きを作ったのは、たまたま金物屋さんにパンダ型があったから。かわいいでしょう?」と、女将さん。
パンダ焼きのほかに、ドーナツ(50円)や、みかん、いよかんなども売っており、ウォーキングコース途中の甘味処として、立ち寄る者も多そうだ。
クリームとあん、それぞれ80円のパンダ焼き。
テイクアウトして、おいしくいただいた
ここからの長い道のりのために、腹ごしらえをして、さらに先を進むことにする。
京急上大岡駅から大岡川水門まで