かつて南区六ツ川に温泉宿があったというが、当時の街の様子は?
ココがキニナル!
京急弘明寺駅から平戸桜木道路に出た所付近(六ツ川)に戦中戦後あたりに温泉宿があり、井土ケ谷界隈の芸者街からの利用のあったと聞きましたが、どのような街だったのでしょうか(しょうゆうさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
地図には温泉とあり旅館は存在したが、温泉宿という感じではなかった。周辺の様子は、街というよりは小川が流れる渓谷で、深い森に包まれていた。
ライター:永田 ミナミ
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温泉宿があったとされるのは南区六ツ川。京急弘明寺駅から平戸桜木道路に出たあたりであるが、現在の地図では、温泉はおろか温泉があった跡らしいものも見当たらない。いろいろ検索してみたが、弘明寺駅付近では今でも営業している中里温泉旅館と銭湯以外の情報は出てこない。
現在の地図では、温泉は見当たらない(Googleマップより)
そこで、ひとまず「南区の歴史」を確認してみることにした。中央図書館で調べてみると確かに「大東温泉」と記されている地図が載っていた。ただし、時代は大正初期のものであり、公式な出版物ではなく手描きによる「記憶図」だった。
手描きの地図とはいえ「記憶図」だ。この場所に温泉があったという記憶に基づいて書かれたものである。記憶図左上には小池と大池らしき溜井もあるから、右上から左下にかけて蛇行しながら走っているのが平戸桜木道路のようだ。しかし、それ以上の資料はなかなか見つからない。
そこで、「日ノ出町の滑走路」でもお世話になった、図書館地下1階、市史資料室へと向かった。
市史資料室で調査内容を伝えると、しばらくして職員の方が1枚の地図を探しだしてきてくれた。地図は中央図書館所蔵の「模範大横浜市全図(黒岩芳馬著、鉄道旅行社発行)」というものだ。かなり詳細な地図である。見てみると、「大東温泉」があったのとほぼ同じ場所に「横浜温泉」という記載がある。
市史資料室の方によると、昭和初期には横浜温泉という名前で知られていたという。地図上では近隣の中里温泉や、野毛公園や児童遊園、屏風ヶ浦などと同じ表示で記載されており、温泉宿としての知名度はそれほど低いものではなかったことがうかがわれる。
模範大横浜市全図(横浜市中央図書館所蔵 提供)
地図を4等分した左上部分の中央あたりに「横浜温泉」を発見
平戸桜木道路を基準に現在の地図と重ね合わせてみると・・・
温泉はこのあたり(赤い★)にあったということになる(Googleマップより)
緑色の★で示した場所は「模範大横浜全図」の中里温泉の位置で、現在の地図とピタリと一致した。つまり、この地域には六ツ川と中里に二ヶ所温泉旅館があったということになる。
しかし、市史資料館の方の話によると、井土ヶ谷や弘明寺とその参道がある駅の反対側は遊郭や料亭がありにぎわっていたが、六ツ川一帯は当時農村地域であり、温泉地としてにぎわっていたということはないだろう、とのことだった。
そこで、明治からある中里温泉なら当時の同業者を知っているかもしれないと考え、現地に向かった。