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菊名貝塚が住宅地に埋もれてしまっているのはどうして?

ココがキニナル!

菊名にある菊名貝塚、大倉山駅前の地図に載っているので、現地へ行ってみました。県教育委員会の署名のある看板もたっているにもかかわらず、あたりは荒れ放題、どれが貝塚なのかわかりません(ほにょにょさん)

はまれぽ調査結果!

現在は住宅街に埋もれ、外から見ることはできない。しかし、ないがしろにされているわけではなく、保存のための努力がなされていた!

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ライター:田中 大輔

古代の人々にしてみれば、よもやゴミ捨て場が遠い子孫たちに尊ばれているとは思いもしなかっただろう。

彼らが大昔にその地で生活を送った証であり、われわれがその内容を垣間見る上で貴重な資料となる貝塚。
実は、横浜市内でもいくつかの貝塚が発見されている。
今回のテーマはそのうちのひとつである「菊名貝塚」だ。

キニナルによれば、現地に行ってもどこが貝塚なのか分からないとのこと。
大切な遺跡であれば手厚く保護されていそうなイメージもあるが、実際のところはどうなのだろうか。



菊名に眠る7000年前の遺跡



菊名貝塚は、その名の通り港北区菊名周辺にある貝塚だ。
鶴見川と入江川にはさまれた台地の東側斜面にある上の宮貝塚(こちらは鶴見区に属する)と、西側の斜面の菊名宮谷貝塚を合わせてこう呼ばれている。キニナルにある看板が建てられているのは国土交通省の寮の敷地内なのだが、そこだけでなく、辺り一帯が菊名貝塚というわけだ。
 


キニナルにあった看板。読めないうえ、国土交通省の寮の敷地内なので近付くのも無理


この貝塚は、縄文時代前期(縄文時代を6つの時期に分けたうち、古い方から3番目にあたる時期)初頭、約7000年前の遺跡とされている。
サルボウやハマグリなどの貝殻が出土し、かつては台地のすそ野まで海が入り込んでいたことが分かったという。
貝塚とは言っても貝殻だけが発見されたわけではなく、竪穴式住居跡や土器・石器、釣り針や犬の骨なども発見されている。

ところが、現地へと行ってみると確かにどこが貝塚なのか分からない。
 


周辺の様子。どう見ても住宅街。遺跡の雰囲気はまるでない


辺りは完全に住宅地になっていて、予備知識がなければおよそ貝塚があるとは思えないような場所だ。
地元の人に話を聞いてみても、貝塚の存在を知らないという人もいた。

学術的にも著名な遺跡とされているそうで、だとするとなおさらどこが貝塚なのか分からない状態というのは不自然にも思えてしまう。



縄文人も現代人も住みたいところは同じ!?



詳しい話を聞くため、県教育委員会文化遺産課の長岡さん、恩田さんに取材をお願いした。
 


阪東橋にある埋蔵文化財センターでインタビューに応じてもらった


おふたりによれば、遺跡が宅地の下に埋もれてしまうことはよくあることなんだそうだ。

その遺跡が極めて重要で国や自治体に“史跡”として指定されれば、強く制限がかかり多くの土地が公有化されて厳重な保護がなされる。こうなると上に建物が建つことはない。

例えば、鎌倉市と横浜市金沢区を結ぶ朝比奈切通し(正式には「朝夷奈切通」という)は国の史跡、青葉区市ケ尾の市ケ尾横穴古墳群は県の史跡として保護されている。
 


  

朝比奈切通し(上)と市ヶ尾横穴古墳群


菊名貝塚は、史跡の1ランク下の「周知の埋蔵文化財包蔵地」とされていて、もちろん一定の保護はされるが史跡ほどの強い制限はかからないそうだ。
そのため、遺跡の上の土地のほとんどが私有地となっている。

極端な地形の変動がなければ、今も昔も人の住みやすい土地というのは共通している部分が少なくない。そのため、すべての遺跡を史跡級に保護してしまうと、われわれの住むところが足りなくなってしまうという現実的な側面もあるそうだ。

しかし、だからといって「遺跡をないがしろにしているということは断じてありません」とおふたりは話す