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70年代後半から80年代に大流行したオリジナルファッション「ハマトラ」を愛した女子たちや当時の様子は?

ココがキニナル!

昔、ハマトラっていうのが流行ったと思いますが、当時の様子や夢中になった女子のお話とか聞きたいです。どれくらいにぎわったのか知りたいです。(いまいさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

ハマトラはフクゾーの服、ミハマの靴、キタムラのバッグが三種の神器で元町発祥のトラッドなファッション。1970年代から80年代前半に大流行!

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ライター:松宮 史佳

ライターになる前、会社員だったが年の瀬に失業。某洋服のショップに一時的に勤務していた過去がある松宮。なので「ファッションは大好き」。もちろん“ハマトラ”にも興味津々なのだが、詳しいことは分からない。

そこで調べてみると、ハマトラは「横浜トラディショナルの和製英語」らしい。神戸発の「ニュートラ(トラッドと海外ブランドを合わせるコーディネート)」に対し、「ハマトラ」は「横浜発のファッション」というスタイルだ。

1970年代後半から80年代前半にかけて流行したファッションでモデルは「フェリス女子大」だと言われている。
 


『日本のファッション(城一夫・渡辺直樹)』はファッションの歴史が書かれており、おもしろい!


『サブカルチャー社会学(仲川秀樹)』によると、「ハマトラは女性誌JJにより広まった」とある。そこでJJを発行している光文社に問い合わせてみるが、当時を知る者がいないので「お答えできない」とのこと。
 


『サブカルチャー社会学(仲川秀樹)』
 

ポロシャツにトレーナー、ミニスカートの“カジュアルなハマトラ”
 

ハマトラファッション2:のトレーナー+巻きスカート+キタムラのバッグ


当時は“フクゾーの服・ミハマの靴・キタムラのバッグ”が三種の神器だったようだ。そこで「フクゾー洋品店(以下、フクゾー)」に問い合わせると、取材OK。早速元町商店街に店を構える「フクゾー」へ!



元町を代表するブランド「フクゾー」に突撃!
 


JR石川町駅から徒歩5分ほど、元町商店街に店を構える「フクゾー」


代表取締役社長・森本珠水(たまみ)さんにお話を伺う。外出先から駆けつけてくださった珠水さん。「(今日は)フクゾーの服、着てないの」と言いながらも、撮影にご協力してくださる。
 


とっても気さくでお話しやすい珠水さん


「フクゾー」は1946(昭和21)年、初代の森本福蔵(ふくぞう)さんが創業。現在は3代目の珠水さんが店を引き継いでいる。
 


創業当時の「フクゾー」外観(提供:ミハマ)


創業以来、糸・生地・染色・裁断・縫製までこだわり、一貫してオリジナル商品を作り続けているのが特徴だ。

「糸や生地から自社で製造するのは大変では?」と言うと、やはり「原価がかなり高い」そう。そのため、「セールはしないというか、できない(by珠水さん)」とのこと。その分、「始めからお客様に還元する」というのが「初代から続く教え」なんだとか。
 


2階の工房では職人さんが一つひとつ服を作っている


ここで企画担当の鈴木裕子(ゆうこ)さんにもお話を伺うことに。鈴木さんは横浜出身。フクゾーに勤務し、約30年。“まさに歴史を知る”という方なのだ! 「フクゾー」に入った第一印象は色とりどりの服が並んでおり、“明るい雰囲気”。「明るく健康的なのがうちのモットーなの」と鈴木さんが答えてくれる。
 


店内には明るい色合いの服が並んでいる


フクゾーが創業した当時は終戦直後。進駐軍は明るい色合いの服を着ていた。そこで初代は「日本人にも明るい色合いの服を」と思ったんだとか。
 


イエロー・グリーン・レッドなど鮮やかな色合いが目を引くニット


企画担当の鈴木さんは、新しくどんな色の服を販売するか考案するそうだ。その際に「外へ行き、色合いを見るの」と教えてくれる鈴木さん。元町商店街にはアーケードがない。なので、「“自然の光”を受けて美しく見えるか」を考えるそう。
 


「外で来ても美しく見えるか」そこまで計算されて新色を決定しているとは!


また、“汽笛のにおいや海のにおい”、“船が着いたら外国の船員さんがやって来る”という、「元町の土地柄」が商品にも反映されていると答えてくれる。思わず「なるほど!」と唸ってしまう。



3世代に受け継がれる服

客層は幅広く、3世代で通う人も多い。「フクゾー」では服の修理も行ってくれる。そのため「一つのものを長く愛用してくださる方が多いんです」と鈴木さん。中には赤いトレーナーを「40年間ピンクになるまで着続けて修理に来る人」や「おじいちゃんのコートを直してほしい」という人も。

修理には時間と手間がかかる。たとえば「コートの袖を修理する」という場合。修理する箇所だけを直すとそこが不自然になってしまう。そのため、全体をチェックして修理する。「修理ができる」というのは「商品を熟知し、高い技術を持つ職人がいるからこそ」だろう。
 


商品に入っている“タツノオトシゴ”のマークは職人の手作り


「30年ほど前は中華街に住む、日本人の刺繍職人さんがいた」と珠水さん。商品を大量に袋に入れ「当番制で、中華街へ持って行っていた」らしい。その中華街にいた方(以下、おばちゃん)が縫う「タツノオトシゴ」は「ふっくら太め」。なので、お客さんが当時の商品を修理に持ってくると「ああ、おばちゃんが縫ったんだな」と分かるそうだ。

ちなみに「職人さんによって縫うタツノオトシゴが違う」とのこと。常連さんは自分好みの形のロゴを見て買っていくんだとか。おもしろい!
 


このご時世に一つひとつ職人さんが“タツノオトシゴ”を刺繍しているとは・・・


「お客様の用途に合った服を対面式でご提供するのがフクゾーのモットー」と珠水さん。「子どもの受験があるので面接にはどの服がいいか」など、お客さんのニーズに合った“接客のプロ”がいるのも頼もしい。また、トータルコーディネートが楽しめるというのも「生地から手掛ける」という「フクゾー」ならではだ。
 


おそろいの柄のマフラーとスカートをコーディネートできるのも「フクゾー」の魅力


創業以来約70年。「フクゾー」では一貫して品質にこだわり、服を作り続けている。逆に「変わったこと」はあるのか? 以前は「グレーやブラウンなどの色の商品はなかった」。だが、お客さんのニーズに合わせ、ここ15年ほど前からグレーやブラウン茶の商品を置くようになったそうだ。
 


店のロゴマークが入った「クルーセーター(1万8000円)」
 

「若い作家さんとコラボした」という手作りの帽子(1万2800円)
 

・・・見えないところも“オシャレ!”
 

「ニット帽(2400円)」や「ニット手袋(1800円)」は紺やダークグリーンも




「ハマトラ」ブームのエピソード

続いて「ハマトラ」について伺うことに。すると「もともとハマトラは地元にあったファッションなのよ」と鈴木さん。JJなどのファッション誌に取り上げられ、全国的に広まった。1970(昭和45)年に『anan』、1975(昭和50)年には『JJ』が創刊。70年代には「数々の女性ファッション誌が創刊された」という背景があるのだろう。1970年後半から80年代前半にかけて「ハマトラ」は一大ブームに。
 


当時一番人気だったという「ブルーのスエッツシャツ(婦人9500円・紳士1万円)」


当時のエピソードを伺うと、「子どもだったけど、お客さんが多すぎて扉が壊れたのを覚えている(笑)」と珠水さん。鈴木さんが開店30分前に店へ来ると、お客さんが角まで並んでいたそうだ。当時、20歳そこそこだったという鈴木さん。お客さんとも同年代だったため、店に入ると「(お客さんと間違われて)なんなの?」という目で見られることもあったとか。 
 


「ドアも壊れた」とはすさまじい・・・


雑誌を見た女性が押し寄せ、棚に商品がなくなることもあったらしい。なので、棚にはお客さんの名前が書かれた紙だけが張ってあり、「ここはクリーニング屋さんなの?」と言う人もいたらしい。あまりにお客さんが殺到したため、「20名ずつお客様を(中に)お入れしたそうです」と珠水さん。表にはお客さんが並んでいるため、「裏口から帰っていただいた」とのこと。

「ハマトラ」は「フクゾー」のシャツやトレーナー、ポロシャツを着て巻きスカートが定番だったようだ。
 


スタッフの方にご協力いただき、当時のファッションを再現
 

聞き込みしたところ、「ハマトラといえばフクゾーのポロシャツ!」という女性も


ハマトラが流行ったころ「中学生だった」という女性。あまりに流行っていたので「母がハマトラファッションを買ってきた」とのこと。
 


「ハマトラ=フクゾーの巻きスカート」という女性も多かった


パーソナルコーディネーターの男性にもお話を伺う。栃木出身という男性。昔は現在のようにインターネットで情報が得ることができなかった。「そのため情報は現地に行かないとなかった」とのこと。「1980(昭和55)年初頭に最盛を極めた“竹の子族”に参加するため、始発で現地に行っていた(笑)」らしい。

「ハマトラ」も現地(フクゾー)に行かなければ買えなかった。「街角スナップ」も「横浜駅そごう前、午前10時集合」などと「雑誌に募集要項が載っていた」と男性。情報がなく、不自由なぶん、当時は「ファッションにかける想い」がより強かったのかもしれない。
 


「竹の子族」のファッション


ド派手な色合いや般若or悪魔のような柄など「ツッコミどころ満載」。だが、男性が履いている“上履きのような靴”がもっともキニナル。

続いて元町商店街にある洋食器専門店「タカラダ」へ。当時「ハマトラファッションでキメていた人」を探すべく、聞き込み開始!
 


優雅な雰囲気が漂う「タカラダ」


すると「当時ハマトラでキメていた女性を知っている」との情報が! その女性とは元町で「健康優菜 ひら」を経営する通称“通称ひらのママ(残念ながら写真はNG)”。実はママは「元町 梅林」の創業者である平川禮子(ひろこ)さんの娘さんなのだ!
 


心も体もよろこぶ料理が食べられる「健康優菜 ひら」
 

ママによると、当時は「元町が元町らしく、一番いい時代だった」そう。現在、元町には東京資本の店も増えた。しかし、以前は「個性的なお店が多かった」らしい。「やはりフクゾーさんやミハマさんがすごかった。元町を牽引してきたと思う」とママ。フクゾーの鈴木さんによると「当時フクゾーの服はそんなに高くなかった」とのこと。

しかし若者にはすぐに手に入る値段ではなく、「ちょっと背伸びをする」という感じだった。そのため「皆バイトをしてフクゾーさんの服を買っていました」とママが教えてくれる。

と、ここでギッシー(編集部・山岸)が「ハマトラ再現して!」とかるーくひと言。「えーーー!!!」と驚く松宮。が、なんとかしなくては! と、いうことで「ミハマ」と「キタムラ」の方々にご協力いただき、“ハマトラ”を再現することに!