昔は店内飲食ができた!? 創業176年、いなりずしでおなじみの「泉平」が店内飲食をやめた理由とは!?
ココがキニナル!
浜っ子のソウルフードと言えば、泉平のいなりずし。からし醤油で食べるお稲荷さんは絶品。今は、店頭販売だけになってしまい買ってきて食べるしかないのですが、どうしてやめてしまったのか。調査を!
はまれぽ調査結果!
創業176年の「泉平」は10年前から接客をせず、美味しさを提供することに専念。店頭販売だけにした理由は特になく、お持ち帰り1本にしようとした
ライター:クドー・シュンサク
大政奉還より前である。
横浜馬車道にある「泉平(いずへい)」という寿司店の歴史と味は、それほど前から現代に流れ続けている。
176年の歴史を築き作り続けてきた「泉平」のその味とキニナル諸々をお伺い。
横浜の日本食の、確固たる、枢軸です。
1839(天保10)年創業「泉平」
いなり寿司。あまりにもいなり寿司が好きな知人の芸人は、人生の最期を迎えたら、棺桶を大きないなり揚げで包んでほしいとお願いをしてくる。
では
関内駅からはJRだと3分、横浜市営地下鉄ブルーラインは歩いてすぐ到着。
1839(天保10)年創業の「泉平」。
中では
お寿司を作っている様子がうかがえる。初めて泉平のいなり寿司を食べたのは3年前。
今でもその記憶は鮮明に残っている。
それでは
おじゃまします。お持ち帰りと地方や海外にも発送、そして仕出し弁当として根強くファンに愛される「泉平」の寿司。店内に入るといなり揚げのあまい香りとシャリのスッと切れた酢の香りが漂う。このいなり揚げのあまい香り、良いです。
手早く正確な作業でいなり寿司とかんぴょう巻きを作り上げる
お話を聞くと、現在150人前のお弁当を作っているという。
それをすべて手作業で。いきなり肝を抜かれる。
いなり寿司を作るこの方が泉平本店の店長鈴木好文(すずき・よしふみ)さん
今から10年前、山下町から馬車道に移転した「泉平」。
その歴史は176年前から現代へ。いなり寿司をはじめとした品々は、発売当時から変わらぬ製法で作られている。横浜が開港して間もなくのころ、江戸前寿司でその名をとどろかせ、その後2代目がいなり寿司を看板メニューとし繁盛した「泉平」。
昭和50年ごろの「泉平」。このころは店内での飲食ができた
まずは、なぜ店内での飲食をやめたのか
鈴木さんは「そこまで大きな理由というものはないんですが、接客をするというのをなしにして、お召し上がりではなく、お届け、まあ、お持ち帰り1本にしようとしたんです」と話してくれた。
持ち帰りには冷凍や
真空パックのものもある
ご自宅で泉平の味が手作りで楽しめる真空パックも人気のようで、シャリの調合のレシピも付いている。
キニナルもうひとつの「からしと醤油でいただく」ということについて。
鈴木さんに尋ねてみた。
どこか
一門をもっている噺家さんのような、堂に入った職人然とした佇まいが格好の良い鈴木さん。「からしと醤油」については「移転する前の店で、よく外国の方々が本当に多くいらっしゃってましてね。それで何気なく洋がらしを置いておくようになったんですよ。それがみなさんが食べても『うまい!』ってことになって、それからひとつの食べ方としてご提案はしてます」とのこと。
おしながきはこちら
がんももあります
150人前のお弁当を徐々に完成に近づけていく鈴木さん。
次のページでは創業176年、現在も衰えず愛される「泉平」の味や存在について迫りましょう。