昔は店内飲食ができた!? 創業176年、いなりずしでおなじみの「泉平」が店内飲食をやめた理由とは!?
ココがキニナル!
浜っ子のソウルフードと言えば、泉平のいなりずし。からし醤油で食べるお稲荷さんは絶品。今は、店頭販売だけになってしまい買ってきて食べるしかないのですが、どうしてやめてしまったのか。調査を!
はまれぽ調査結果!
創業176年の「泉平」は10年前から接客をせず、美味しさを提供することに専念。店頭販売だけにした理由は特になく、お持ち帰り1本にしようとした
ライター:クドー・シュンサク
1日2000本のいなり寿司
1940(昭和15)年当時の泉平
同じく
泉平のいなり寿司。醤油と水に砂糖とザラメで煮る。この煮汁を幾年も溜めておきながら継ぎ足しコクと新鮮さのある煮汁を作る。
寝かして煮て漬け込んで、その作業を重ね、泉平のいなり揚げが作られる。
配合、煮方に秘伝の味が隠されているという。
黙々と
手早く丁寧に
何本ものいなり寿司を作り上げていく鈴木さん
その数なんと1日平均2000本。例として労働が10時間としても、1時間で200本は作る。
御年64歳、18歳から泉平で勤めている職人の成せる技。
「泉平」のいなり寿司が横浜のソウルフードといわれることについて鈴木さんは。
「うれしい限りです」
「難しい言葉はよく分からないのですが、横浜の食の代表のような存在であるという風に言われるのはうれしいですね」
ちなみにのり巻(かんぴょう巻)は1日平均500本を作るということです。
いなり寿司とのり巻き、すべて手作業で作られています。
いなり揚げは宮城の泉平工場で作られる
そしてシャリ
横浜市内の某所で専用のシャリを発注。いなり寿司にはあまいいなり揚げに合う、砂糖を使わない酢と塩で仕上げるシャリ。のり巻きやほかの寿司には砂糖の入った一般的に近いシャリ。そのどちらもが独自の配合で古くから変わらない「泉平」の味を表現するもの。
150人前のお弁当が完成した
シャリ。シャリの続きであるが、まずは写真から。
この青いケースひとつに
10キロのシャリが入っている。これで約150本のいなり寿司が作れる。
ということは、いなり寿司だけで13ケース以上。130キロ以上のシャリが消費される。
現在、お店でのお持ち帰りにお弁当、全国への発送とデパートでのイベント出店など、制限なく、とても幅の広い範囲と多くの方々に愛され続けている「泉平」の寿司。
それでは
いただきます。
蓋をあけるとこういうかんじ
まぜパック(1人前:840円)
いなり寿司2本(4個)とのり巻き(かんぴょう巻)が1本(4つ)。
なんとも
ひとくちほおばると、しっかりとした甘さがジュワッ、と口の中いっぱいに広がる。
酢と塩のみのシャリはピシッとキレのよい味わい。あまい揚げとキレのよいシャリとの相性、噛むほどに混ざり合い引きたて合う味わい。
一度いただくと忘れられない、趣と深い味わいの逸品。
相変わらず、美味い。
揺るぎない
長き歴史が作り、守り続けてきた味。
「泉平」の寿司は、深き懐を持つ、横浜のソウルフード、食の枢軸でした。
取材を終えて
本当は説明のいらないほどの味、泉平の寿司。
食に好みはありますが、その歴史を感じれる味には、それを超越した、「何か」があります。
―終わり―
あらめやさん
2016年04月24日 09時26分
泉平って山下町から移転したのですか。 私の職場が関内にあったころは、よくランチに泉平に行きましたよ。ですからてっきり馬車道が本店かと思っていましたけれど、私の勘違いかな。 今の泉平は昔「珈琲屋」があったところですね。昔の泉平の店舗はそれから数店舗桜木町寄りの駿河銀行の側だったように記憶しています。 私は握りとお稲荷海苔巻きが盛合わさった「取り混ぜ」うメニューが好きでした。 あの周辺は「珈琲屋」は勿論、すき焼きの「たけうち」、和菓子の「松村」、当時としてはおしゃれなスーパー「明治屋」などもあって大人の雰囲気の横浜らしい街並みでした。 そばを通るたびに確かここが泉平だったなあと懐かしく思います。 バブルの時はおしゃれで高そうなお店を出したりして勢いがあたのになあ、きっといろいろと大人の事情があったんでしょうね。 時々懐かしく新横浜の売店で買いますよ。
baywatchさん
2015年11月30日 12時09分
泉平のいなり寿司は旨い… けど、1日で米が硬くなって味が落ちてしまうから早く食べないと本当の旨さは分からない。ソウルフードとまでは言いすぎかもしれないが、泉平の様に昔からあったハマの味を知らずに育ってしまう、ハマッ子が増えているのはちょっと寂しくもあります。
えみりさぱぱさん
2015年11月29日 21時03分
前テレビで紹介していたが、からし醤油をつける食べ方を紹介していたような。間違いかな。