南区「坂上二郎そっくりショー」の看板を掲げる「お好み焼き 二郎さん」とは?
ココがキニナル!
南区吉野町「お好み焼き二郎さん」の店には「テレビでおなじみ坂上二郎さんそっくりショー大塚二郎さん」の看板。どれだけ似ているのかショーが現在も行われているのか、ほんのちょっとキニナル(ゆがみ小僧さん)
はまれぽ調査結果!
坂上二郎のそっくりさん・坂下二郎さんはプロのモノマネ芸人で本人に間違われるレベル。店の看板にあるそっくりショーは実は一度も行われていない
ライター:細野 誠治
謎に包まれた吉野町の二郎さんは、秘密の隠れ家っぽいところ
坂上二郎——(1934~2011)。
言わずと知れた、昭和の喜劇人。歌手であり俳優であり、そして盟友・萩本欽一氏と組んだ“コント55号”は、演芸ブームに乗り大変な人気を博した。
(「飛びます、飛びます!」のかけ声の・・・といったら分かります?)
そんな坂上二郎氏の“そっくりさん”がいるらしい・・・。吉野町の、お好み焼き店で会えるらしい(店の名前が二郎さん!)。
キニナルに添付された写真。文面の通りだ
「どれだけ似てるのか?」「今でもショーをしてるのか?」そして文末には「ほんのちょっとだけキニナル」・・・って失礼だろっ!
キニナルだろ、いろいろ。「二郎さんに似ていて、やっぱり二郎さんが好きなのか?」とか「店の名前も二郎だけど、店主の名前も二郎なの?」とか「そっくりショー見ながら自分でお好み焼き作るの? 忙しくね?」とか、ショーの時間とかレパートリーとか、1ステージで何回「飛びます、飛びます!」って言うの? とか疑問テンコ盛りだろうがぁああああぁあっぁあっ!
というわけで、さっそく現場に向かいまーす。
最寄りは横浜市営地下鉄ブルーライン「吉野町」駅
地下鉄2番出口から目の前の16号線を、伊勢佐木町方面に向かって3分くらい。吉野町1丁目交差点を左折すぐ(イセザキ・モールの突き当たりから、ぶらぶら歩いても難なく到着する)。
緑の日除けが目印。「お好み焼き 二郎さん」
キニナル投稿にあった看板も、よーく目立ちます
「そっくりショー」の文字に「大塚二郎さん」の名前が
よしよし、さっそくキニナルの数々を解いていこうじゃないか。暖簾を潜ると、息子さんがお出迎え。
息子の大塚和史(おおつか・かずひと)さん。あれ、なんとなく似てる?
入ってすぐ、鉄板付きのテーブルが5卓。30名まで利用できる
さらに奥へ歩を進めると、なんと店内に池と橋が出現!
店の奥にこんな光景が
池には鯉が泳いでます!
池や橋があるのは、以前この建物が割烹料理屋だったころの名残だそうで、当時に使われていたものを、そのまま利用しているため。
で、この橋を渡った先には個室がある。鉄板の卓が3つ、ゆったりめで落ち着く。元が割烹料理屋だけあって雰囲気はバッチリ。
調度品や年季の入った建物、天井が高くて空気の篭らない設計と、なんとなく田舎のおばあちゃんの家のイメージと重なる(すげぇ好き)。
個室は15名まで利用可能
そろそろ問題の二郎さんにご登場を願おう。ドキドキしてきた・・・。
二郎さんにそっくりな二郎さんは、プロフェッショナルだった
座敷に移動して、さっそく話を聞いてみよう。
店内の壁にはたくさんの写真。自身のものや芸能人とともに写ったものも
奥さまの和美さんと二郎さん登場。うわぁ似てるな!
二郎さんは1934(昭和9)年生まれの82歳。いや、似てるわ・・・
まずは名前から。こちらの二郎さんの、そっくりさん、本名を大塚勲(おおつか・いさお)さんという。
プロの芸人さんで、芸名が本家の“坂上”に対して“坂下二郎”だそう(今さら“勲さん”と呼ぶのもナンだし“二郎さん”でいいよね?)。
始まりは今から、およそ半世紀前。
保険調査員として働いていた二郎さん。お茶の間のテレビに登場した、コント55号によって人生が変わる。
「そっくりだ!」ということで、さまざまな方面から反響を呼ぶ。会社や自宅に電話がかかってきたり、遂にはテレビや雑誌に登場したりするように。
こちら「そっくりな方」の二郎さん。本当によく似ている
二郎さん(モノマネ)は若いころ歌手を志していたそうで、このブレイクをきっかけに、プロのモノマネ(そっくりさん)芸人として活動をすることに。
本家の二郎さんご本人にも、認めていただいていたそうだ。
「実際に会ったのは10回くらい。東京の、とある店先の階段で初めてバッタリ出くわして。二郎さん(本物)が降りてくるところで、私が上りでね・・・二郎さんが(私を)指差して、“俺の、そっくりがいるぞ!”って言ってくれた」
2人の二郎さん。本家が右側、左が二郎さん(そっくりの方)。分かりづらい!
自身が二郎さんの大ファンで、顔がそっくり(年齢も同じ!)。「似ている」ことが売りになって仕事につながる。
これこそ、究極のファンではなかろうか。
では、店にはどういう経緯が?
店のオープンは1984(昭和59)年。「“何か店をやろう”と思って」と二郎さん。
なぜ、お好み焼き店だったのか? 当時、小学生だった息子の和史さんの「お好み焼き屋がいい!」の一言で決まったそうだ。
この「子ども采配」が当たる・・・
近隣、伊勢佐木町など繁華街で仕事をする方や、アフターを楽しむ酔客たちが押し寄せたそうだ。
「開店初日からお客さんが、たくさん来た。そっくりショーをしようと思ったけど、忙しすぎてできなかったんだよ」と二郎さん。
——そんなに!?
「もちろん、お客さんに『やってくれ』と頼まれれば、やるけど」
今でもリクエストがあれば全力で真似してもらえます!
今年で32周年を迎える「お好み焼き 二郎さん」。オープン初日から掲げられた看板だが、なんと一度もショーを開催できず、今日まで来てしまったそうだ。
看板の「大塚二郎さん」は厳密にいうと間違い。そしてショーは未開催
こうして二郎さんは保険調査員、モノマネ芸人、お好み焼き店オーナーという三足のワラジを履くことになったそうだ。
そっくり過ぎて某新聞社が「本人」と間違えて写真を掲載! すごい話だ