横浜市電が海に沈んだ? 車両の魚礁化計画があったって本当!?
ココがキニナル!
横浜市電廃止後に車両が海に沈められ魚礁にされたと聞きましたが、謎に包まれたままです。名古屋や神戸などの路面電車は画像や映像があったのですが・・・真相は?(C.DAVIDさん)
はまれぽ調査結果!
市電車両の鋼材は魚礁に適すると分かり、県内で乗り物が魚礁化した事例や市電の魚礁化構想が記された書籍はあったが、魚礁化が実現した記録はない
ライター:紀あさ
横浜の路面電車
1904(明治37)年から1972(昭和47)年まで横浜には路面電車が走っていた。厳密にいうと、最初は民営だったため、横浜市電となるのは1921(大正10)年以降のことである。
道路上にのびる線路。コトコトと揺られながら街を行く。乗ったことがなくとも、なぜか懐かしい気持ちになる「横浜市電」という響き。
愛称は「ちんちん電車」
立ち上げ時には人力車夫からの反対など苦難があったものの、多くの市民に愛されて終焉を迎えた。
折しも先週末、6月10日は「ろ(6)テン(10)」(路面電車を略した「路電」)の語呂合わせで路面電車の日。
役目を終えた市電たちはその後どうなったのだろうか。その行方を辿ろう。
札幌、函館、鹿児島、熊本などには今なお路面の市電が残る(写真は函館)
横浜市電は魚礁になった?
今回のキニナルは「市電は魚礁になったのか?」
手元の辞書によると、魚礁とは「海の中の岩のある所で魚群の生育場」(新明解国語辞典)。
自然の岩以外にも、石、ブロック、廃船などを沈め人工魚礁として活用するそうだ。このように横浜市電の車両も海に沈められて魚礁となったのだろうか?
魚礁には魚が多く集まる
まず「横浜市電」といって考えられる情報元といえば横浜市電保存館! 謎を解くべく、磯子区滝頭の保存館へ向かった。
横浜市電保存館は、現在の市バスの滝頭営業所の隣にある
ここは市電が走っていた当時、「滝頭車庫」だった場所だ。市電の車庫は4ヶ所あったが、市電が運行していた最後の日まで営業していたのは「滝頭車庫」だけだった。
館内には7両の市電車両が屋内展示されている
年表など、市電の歴史に関する展示もあった。しかし魚礁化したという記述は見当たらない。
職員さんに聞くと、「来月、市電に関する講座が開催されるので、その時に講師に尋ねてみてはどうか」と案内をいただいた。
講座案内。講師以外にも市電についてよく知る人がたくさん来るそうだ!
5月13日開催の講座だが、この時点ではまだ4月下旬。2週間以上先の話ということで、その間に別の角度からも調べようとPCに向かう。
しかし、どんなに検索しても全く何の手掛かりも掴めなかった。
調査開始早々、暗礁に乗り上げた?
ここで改めてキニナル投稿の内容を振り返ると、名古屋や神戸には、魚礁になった市電の画像や映像があるらしい。何かしらの糸口をつかめないかと名古屋市電の保存館「レトロでんしゃ館」に電話をしてみると、そこには「魚礁化した市電の一部」が展示されているという。
そもそも市電はどのように魚礁化するのだろうか?
手掛かりを求め、はまれぽ調査エリアを飛び出して名古屋へ調査に行ってみよう!
さぁ、市電の歴史の大海原へ
横浜駅から3時間! 名古屋市電の保存館へ
やってきました! 愛知県日進市の「レトロでんしゃ館」(名古屋市市電・地下鉄保存館)。
自販機がキニナルみゃー
横浜市電保存館と同じく、さまざまなかつての市電車両などが保存されている。
保存館内。操作可能な模型コーナーも人気
珍しいものでは、2車両がくっついたまま分割できない「連接車両」があった。このタイプの車両は横浜市電保存館にはなく、少ない資材で大きな輸送力をと戦時中に生まれたそうだ。
連接部が同じ台車上にあり、1両ずつに切り離すことができない
さて、魚礁はどこかな、と探すと展示室奥の方に発見。
これが魚礁となった路面電車!?
20㎝もないような小さな断片で、説明がなければこれがかつて市電だったとは到底分からない。
センター職員さんは「なぶっとった人らもうおらんわ」と、生粋の名古屋弁で「携わっていた人たちはもう引退しています」の意を言いながら、魚礁化した名古屋市電の写真が載った資料を探してくれた。
魚礁になる前の海辺に並ぶ市電たち(『市電残像 加藤幹彦写真集』より)
魚礁になって2年後、魚が暮らす市電(名古屋市交通局刊『名古屋を走って77年』より)
市電が、立派な魚礁になっている・・・!
名古屋市電は1974(昭和49)年に全廃となったが、それ以前に路面電車は徐々に撤去されており、魚礁化は1969(昭和44)年には始まっていた。展示されている断片は、魚礁化から約30年後の2000(平成12)年のテレビ取材の際、海から引き上げられた車両の一部。名古屋市営「交通資料センター」に行くと、その時の番組も視聴可能だという。
名古屋市電、魚礁化30年後の姿
「交通資料センター」は名古屋市内にあり、保存館から電車で14駅も離れていたが、手掛かりがあるのなら! と・・・
やってきました、伊勢佐木じゃない長者町
手羽先で有名な「世界の山ちゃん」ビルが目立つ。その先へ。
名古屋市営「交通資料センター」到着。ビルの6階にある
車両など重量物の展示はないが、模型や部品のほか、多くの映像資料も保存されている。
視聴覚コーナー完備
豊富な映像資料から例の番組を発見
いざ、視聴。
「昭和44年6月に20両の車両を渥美半島に沈めた」
愛知県“水産課”が市電の漁礁化を進めた
車両が沈みやすいように鉄くずを乗車させた
果たして30年後、魚礁はどうなっているのか。名古屋市電の元運転手たちが船に乗り、魚礁となった市電車両を探しに行く。
見つからない・・・
ついに市電の骨格発見!
車両の部品の一部、ブレーキロットなども残っている!
魚が暮らす姿に「感無量」と元運転手たち
海底の市電に、花を手向けた
市電が魚礁になったら、このようになるのか。
そして番組内で横浜市電の魚礁化を調査するための貴重な手掛かりを手に入れた! 「市電」だから「交通局」と考えていたのだが、「魚礁」だから「水産課」の仕事だったのか。