戸塚区にある謎の森!? 「ウイトリッヒの森」に住んでいたアーノルド・ウイトリッヒ氏って誰?
ココがキニナル!
戸塚区俣野町にスイス人のアーノルド・ウイトリッヒ氏が寄贈した森「ウイトリッヒの森」があります。アーノルド・ウイトリッヒ氏の日本での足跡を含めてご調査いただけないでしょうか。(まさしさん)
はまれぽ調査結果!
ウイトリッヒ氏は戦前から戦後にかけて戸塚駅前から戸塚区俣野町にある「ウイトリッヒの森」へ引越している。戦前は農作業を、戦後は商社マンに!
ライター:関 和幸
「ウイトリッヒの森」は戸塚区の南西部に位置し、面積はおよそ3.2ヘクタール(野毛山動物園とほぼ同じ)の自然公園だ。横浜市のホームページによると、もともと1983(昭和58)年に亡くなったスイス人建築家のアーノルド・ウイトリッヒ氏が所有していた。
彼の死後、妻である津田ひ亭(つだ・ひで)さんが森を横浜市に寄贈し、それを横浜市が「市民の森」として整備したものだという。
横浜市のホームページ。森の概要が掲載されている
さっそく「ウイトリッヒの森」を管理する横浜市環境創造局に電話するも何も情報は得られず、ネットでも「ウイトリッヒの森」の散策記録のブログしか見つからなかった。これはもう、現地に行ってみるしかない。
戸塚駅に到着。ここから現地まではバスで15分ほど
謎の森、「ウイトリッヒの森」へ
戸塚駅西口のバスターミナルで藤沢ゆきのバスにのり、「聖母の園」バス停で降りた。GoogleMapによれば「ウイトリッヒの森」は、ここから徒歩で5分ほどの距離ということだったからである。
バス停前の国道1号線。この先が原宿の交差点
調査した当日は6月というのに真夏のような暑さで、そんな中住宅街を歩いていく。果たしてこんなところに森などあるのだろうか・・・そう思いつつ、先へと進んだ。
こんな住宅街を抜けると・・・
GoogleMapはこの先に進めと言う。とても公園の入口には見えない
本当に公園があるんだろうか・・・?
どんどん道は消えていく。足元もぬかるんでいく
ようやく整備された道に出た!
結局5分どころか15分以上は道なき道を歩かされたのだが、実は「ウイトリッヒの森」の本当の最寄りバス停は「原宿」または「国立病院前」。もし訪れてみようという読者はご注意いただきたい。さらに進むと次第に市民公園らしくなっていく。誰ともすれ違うことはなく、鳥や虫の鳴き声だけが騒がしかった。
休憩所。テーブルとベンチがある
正規の入口にあった看板。樹々に埋もれそうだ・・・
入口付近の公園案内図
ここから周辺の人に話を聞いてみることにした。まず公園案内図には「ウイトリッヒの森愛護会」と「横浜市南部公園緑地事務所」の名前がある。さっそく電話してみたが、ウイトリッヒの森愛護会は連絡がつかない(後日わかったことだが、同会はすでに解散していた)。また横浜市南部公園緑地事務所でもウイトリッヒ氏にまつわる情報はないとのことだった。
そこにあらわれた神の使い! だが・・・
そんな電話をしていると、目の前を二人のシスターが横切った。お話を伺うと、ウイトリッヒの森の横にある「マリアの宣教者 フランシスコ修道会 戸塚第一修道院」の方達だとのこと。ウイトリッヒ氏についてお話を聞くと、年配のシスターならなにか知っているかも・・・と言うことで、さっそく行ってみることに。
眩しくそびえる修道院
だが、院長先生など責任者の方々は会議中でお会いできなかった。やむなくウイトリッヒ氏のことを知りたいと伝え、後日電話でお話を伺うことに。結論から言うと、後日の電話でも特別な話は聞けなかった。
70代~80代のシスターでも生前のウイトリッヒ氏を知る人はいなかったそうで、90代以上のシスターが知っているかもしれないが、残念ながら話ができない状態で・・・とのこと。唯一伺えたのが、どうやらウイトリッヒ氏はニワトリを飼っており、その卵を修道院にくれたことがあったらしい・・・というエピソードだった。