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浅間下から三ツ沢公園までの坂は「きつね坂」と呼ばれていたの?

ココがキニナル!

新横浜通りの、浅間下の交差点から三ツ沢公園までの坂・・・「きつね坂」と書いてある古文書を見かけた事があります。(ootaharaさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

言い伝えでは、浅間下交差点から三ツ沢公園までの坂は、その昔「きつね坂」と呼ばれていた。しかし、古文書は発見出来なかった。

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ライター:橘 アリー

妙にキニナルこの質問!?



今回のこのキニナルの投稿、橘としては、疑問形式になっていないのがとてもキニナル! そこで今回は、こちらから「何を調べるか?」を提示する事に。
投稿の文から考えて、「新横浜通りがきつね坂と呼ばれていたのか?」を調べる事で調査開始。
 


通称「新横浜通り」の赤線部分は「きつね坂」と呼ばれていた?




きつね坂」は学舎への道!?

「きつね坂」「三ツ沢」などのキーワードをパソコンで検索してみること、横浜市西区役所のホームページに「きつね坂」の文字を発見!
 


西区役所のHP「西区そぞろ歩き」の「原のいぼ取り地蔵」という記事
http://www.city.yokohama.lg.jp/nishi/miryoku/sozoro/sozoro33.html


『三ツ沢西町の法華宗の名刹豊顕寺(ぶげんじ)が、昔、隆盛のころ、三ツ沢檀林という僧侶の学問所があった。ひところは300人もの学僧を擁したという。その檀林に通ずるだんりん道、きつね坂とげんごろう坂の合するのがこのあたりだ、といわれる。』(「原のいぼ取り地蔵」より抜粋)

と書かれているのが、この書き方では、新横浜通りが「きつね坂」と呼ばれていたのか分からない。しかも、三ツ沢檀林に通ずる道は何本もあったのだろうか?

詳しく聞こうと西区役所に問い合わせてみると、「西区そぞろ歩き」は書籍としても出版されているのだが、著者がもう亡くなっていて、書かれている以上の詳しい事は分からない、という返事。

ここで、もう少し檀林道について調べてみると、一般的には仏教僧侶が勉強する学舎の事を檀林と呼んでいて、その檀林へ通じる道が檀林道と呼ばれていた。

では、豊顕寺にあった三ツ沢檀林に通ずる檀林道がいくつあったかというと、平成16年12月号の広報よこはま神奈川区に掲載されていた「神奈川宿と道・第7回」に、檀林道は3つあったという記載を見つけることができた。
 


神奈川区のHP「広報よこはま神奈川版 バックナンバー」より
http://www.city.yokohama.lg.jp/kanagawa/oshirase/kuban/koyoko16.html


『神奈川宿仲之町四ツ角(現在の神奈川警察署付近)から現在の「三ツ沢せせらぎ緑道」の両側に二つの道がありました。もう一つは、旧東海道を西へ向かい、勧行寺(西区南軽井沢)の前を通り、浅間下交差点から宮ヶ谷を経て三ツ沢公園内の戦没者慰霊塔脇を過ぎて行く道がありました。』(「神奈川宿と道・第7回」より抜粋)

ここに「浅間下交差点から宮ヶ谷を経て三ツ沢公園内の戦没者慰霊塔脇を過ぎて行く道」とあり、新横浜通りも檀林道の一つといえる。