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浅間下から三ツ沢公園までの坂は「きつね坂」と呼ばれていたの?

ココがキニナル!

新横浜通りの、浅間下の交差点から三ツ沢公園までの坂・・・「きつね坂」と書いてある古文書を見かけた事があります。(ootaharaさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

言い伝えでは、浅間下交差点から三ツ沢公園までの坂は、その昔「きつね坂」と呼ばれていた。しかし、古文書は発見出来なかった。

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ライター:橘 アリー

えっ!近隣の人も知らないの!?



浅間下の交差点から三ツ沢公園までの坂道は、「県道13号 横浜生田線」の一部で、その「新横浜通り」と言う名は一般的に呼ばれている通称である。
 


浅間下交差点から見た新横浜通り


「新横浜通り」は、1964(昭和39)年10月に東海道新幹線の「新横浜駅」が設置されてから使われるようになった名前であるから、それ以前は別の名前で呼ばれていたことになる。
 


新横浜通りの中ほど


途中、道に沿った民家の方に、「きつね坂を知っていますか?」と聞いてみたが、知っている人は居なかった。

坂を登りきると、道路の左側に三ツ沢公園があり、道路の右側に沿って進んで行くと、「豊顕寺市民の森」という大きな公園が見える。豊顕寺はこの公園の奥にある。

公園を散歩している人にも「きつね坂」を知っているか聞いてみたが、知っている人は居なかった。
 


近くの住んでいるという池田さんと愛犬のクマ


池田さんはこの近くに長年住んでいるが、「きつね坂」の名前は聞いた事がないそうだ。



きつね坂は、伝承の中に


 


門の前から見た豊顕寺


豊顕寺は、三河国(現在の愛知県)の郷士多米元興(ため もとおき)が先祖菩提のために1515(永正12)に建てた本顕寺に端を発し、後に三ツ沢に移転して、豊顕寺と改称したそうだ。

ご住職にお話しを伺うことにした。
 


本顕寺の時代から39代目のご住職の今井満良さん


ご住職は、現在の新横浜通りが「きつね坂」と呼ばれていたと伝え聞いていると言う。
 


豊顕寺の前にある三ツ沢檀林の様子が描かれた絵図


1720(享保5)に幕府から許可が下りて、豊顕寺に檀林が設置され、三ツ沢檀林と呼ばれていた。
当時の境内は5万2千坪と広大で、檀林の最盛期には学舎5棟、学寮25棟、学徒は300人を越えたそうだが、明治期の火災や関東大震災によって焼失し、檀林は廃止となった。

ご住職のお話では、檀林が有った当時、今の新横浜通りは「きつね坂」と呼ばれていたようだが、檀林が火災で焼失した際に資料も全て焼けて無くなってしまっているため、残念ながら「きつね坂」と呼ばれていた物証は寺には残っていない。

名前の由来が判明できないのが、とても残念である。

“きつね”繋がりで言うと、浅間町交差点のすぐ傍にある「浅間神社」に稲荷神が祀られているので、訪ねてみることに。
 


浅間神社に祀られている稲荷神


浅間神社の宮司の吉田周司さんに「きつね坂」について聞いてみたが、知らないとの事であった。
代わりに今の「新横浜通り」が造成中であった時の写真を見せて貰えた。
 


吉田さんに見せて貰った1953(昭和28)年の写真。太い道が造成中の新横浜通り


1955(昭和30)年秋の国体が三ツ沢公園陸上競技場で開かれる事になり、「天皇陛下が来る! 大変だ!」という事で、それまで舗装されていなかった今の新横浜通りの造成工事が行われた。
それまでは車が通ると砂埃がたつような道だったそうで、新横浜通りと呼ばれるようになった以前は、特に呼び名は無かったそうだ。



取材を終えて



横浜の歴史に関する事を調べていると、いつもぶち当たる壁がある。それは、関東大震災や横浜大空襲による資料の焼失。今回、「きつね坂」と呼ばれていた事は伝承として伝わっていると分かったが、キニナル投稿にあった“古文書”は見つけられなかった。

しかし、古文書は、焼失を免れどこかに残っているかも知れない。いやむしろ、積極的に残っていて欲しいと思う。この記事を読み、心当たりのある方がいれば編集部までお知らせ頂きたい。見つかったら飛んで行きます!


― 終わり ―
 

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  • こんにちは、質問者です。いつも綿密な調査を有難うございます。この坂の学区の小学校の昔の卒業生の書いた地図がありましたので、紹介します。以前の記事で「古文書があった・・」と買いたいのはこの地図です。http://photohito.com/photo/1595551/今の4車線の新横浜道路が出来る前は山林だった場所ですので、場所は良く判らないです。余談ですが、この坂のあたりは横浜大空襲の時に辛うじて焼け残ったので、小学校には昔の資料が残っていました。ガラスの写真は初めて見ました。

  • 公開されている横浜市の旧地図を見るとかなり想像できます。 http://www.city.yokohama.jp/me/machi/kikaku/cityplan/gis/3000map.html ちょうど「原のいぼ取り地蔵」の場所に万字マークがあります。ここで檀林道ときつね坂とげんごろう坂が合流するそうですが、地図を見れば檀林道は宮ヶ谷小真裏から上る道、げんごろう坂は現ハイタウンの中を突っ切って上る道でしょう(この道は造成されて跡形もない)。そしてきつね坂ですが、現在の関東自動車学校のすぐ脇に残る道から現在協会がある辺りを通って浅間下に一気に下る道だったようです(その急さから考えて車道ではなく人道)。現在は当時と違う道筋で新横浜通りと階段で繋がっています。なので「きつね坂は新横浜通りの造成により無くなった。坂上の道は自動車学校脇に残っている」というのが正しそうです。

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