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川崎堀之内町の『ちょんの間』ってどうなったの?

ココがキニナル!

川崎駅堀之内地区では、以前「ちょんの間」の一斉摘発がありました。今はどうなっているのでしょう?(HIGEさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

今も数店舗が「ちょんの間」として営業していた。静かに営業していることから地元には黙認され、地元商店街の隙間で「ちょんの間」は存在していた。

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ライター:ワカバヤシヒロアキ

ちょんの間とは?



店先の女性と交渉し、布団が敷かれた2、3畳の小部屋で性的サービスを受ける、通称「ちょんの間」。
その語源は諸説あるようだが、「ちょっとの間で事を済ます」というのが最も有力だ。

売春防止法が施行されたのは1957(昭和32)年のこと。それまで政府公認で売春が行われていた、通称「赤線」も1958(昭和33)年に廃止されている。ただ、それ以前から、「青線」と呼ばれる非合法売春地帯が存在し、「ちょんの間」のほとんどは、「青線」の名残であると言われている。
 


ちょんの間があった横浜黄金町


以前はまれぽでは、「三大ちょんの間街」に挙げられるほど規模の大きかった、横浜市黄金町の「ちょんの間」について調査を行った。(参考記事:黄金町の『ちょんの間』ってどうなったの?

黄金町では、2005(平成17)年1月に神奈川県警による取締りが強化され、「ちょんの間」は一掃された。
以後、ちょんの間として使われていた建物は、レンタルルームなどに姿を変えており、近年の黄金町ではさらにイメージを一掃している。アーティストやクリエーターが活動する場所として、新たな文化を形成する街へと変化しているのだ。

しかし、神奈川県にはもう一つの「ちょんの間」地帯がある。それは、JR川崎駅から約1km離れた堀之内町周辺。川崎の「ちょんの間」は今どうなっているのだろうか。



堀之内町も摘発されてきた



売春防止法が施行された後の1960(昭和35)年、堀之内町にて川崎東地区料理飲食店組合が設立。

しかし、飲食店組合というのは名ばかりで、「ちょんの間」などの違法風俗営業を行っているのが実態であったという。当時はお酒や料理を出している店もあったそうだが、次第に性的サービスのみとなり、バブル期には組合が抱える店舗数は70店舗以上にものぼった。

だが、警察の度重なる取り締まりによって、39店舗を抱えていた組合は2005(平成17)年8月26日に解散式を迎えることとなる。これにより、堀之内地区での「ちょんの間」は撲滅に向かうと思われていた。

しかし、その影で営業を続ける違法風俗店は後を絶たなかった。神奈川県警によって、大規模な摘発が行われたのはそれから約4年後のことだ。
 


2009(平成21)年7月6日朝日新聞より


当時の記事によれば、神奈川県警は2006(平成18)年から「歓楽街総合対策」として、堀之内町地区での違法風俗店の摘発に特に力を入れてきた。

そして2009(平成21)年1月からは、同地区で数回にわたる一斉摘発を実施し、韓国人などの外国人男女34人を売春防止法違反容疑で逮捕。摘発された「ちょんの間」は計9店だったという。同年7月、最後の一斉摘発では県警に加え、東京入国管理局も合わせた80人体勢で臨んだということで大騒動であったことが想像できる。これにより、今まで野放しになってきた違法風俗店の火を、大部分にわたって鎮火したのであった。

ただし、気がかりなのはこの記事の結び。「今回の摘発で残すは数店舗とみられるという」と表現されている。つまり、黄金町のように完全に一掃されたわけではないのだ。



いまの堀之内町周辺は?



では、現状の堀之内町周辺を見渡すと、そこは明らかな風俗通り。
堀之内からやや南方にある南町も同様だ。
 


堀之内町のメイン通りの様子


平日の昼間から数多くの風俗店が営業する中、メイン通りを歩いてみると、「写真だけでも見てって。嫌ならすぐ出てってもらって良いんで、お兄さん!お兄さん!」と客引きに遭う。
話を聞けば、そのほとんどがソープランド。店舗型性風俗特殊営業という部類に属し、詳細な内容はともかくとして、一応は合法的な風俗営業店である。
 


堀之内町ではピンクで塗った部分がメイン通りである


客引きに立つ男性店員に「ちょんの間」のことを尋ねてみると、「あぁ、この辺はほとんど無くなりましたよ。今は裏路地に幾つかあるみたいですけど」という回答。やはり、川崎から「ちょんの間」は消えていなかった。