微妙な立ち位置のB級グルメ? 三崎まぐろラーメンとは?
ココがキニナル!
三崎第3のグルメ、三崎まぐろラーメンは一時はブームになるのかと期待していましたが、福の家という店は閉店し、イマイチ元気がない気がします。現状の調査をお願い致します。(白マントさん、八景のカズさん)
はまれぽ調査結果!
現在、三崎まぐろラーメンの提供イベントを行い三浦市のPRをしているのは「まぐろラーメンズ」。今後も学校給食やイベントに元気に参加予定!
ライター:はまれぽ編集部
ラーメンが大好きな筆者だが、恥ずかしながら「三崎まぐろラーメン」の名は聞いたことがある程度。「三崎第三のグルメ」ということも投稿によって知ったばかりだ。第一のグルメは「マグロ」として、第二のグルメは何だろう?
また、この「三崎まぐろラーメン」、すでにご存じの方から見て、最近元気がない気がするとのこと。これはぜひ調査・実食しなくてはならないと、さっそく京急線三崎口駅に飛んだ。
まぐろラーメンってご存じですか?
横浜駅から三崎口駅は、乗り換えなしで約50分と意外に近い。まずは駅周辺と三崎港周辺で「三崎まぐろラーメン」の知名度や「第三のグルメ」に落ち着いた所以を探ってみよう。
平日の午前9時、駅前は人がまばら
三崎口駅前観光案内所にお勤めのYさんと鈴木さんは「食べたことあるよ! 食べやすいしもっと有名になってほしいね! 第一はマグロとして・・・第二はみりん干しとかの加工品かな?」とのこと。
行き先に迷ったら三崎口駅前観光案内所へ
地元の方8人に聞いたところ、全員ご存じだった。地元には浸透しているようだ。では、市外から来ている観光客はどうだろう? 場所を移して三崎港へ向かう。
三崎港にはバス乗り場2番から
20分ほどバスに揺られて三崎港へ
この日はあいにくの空模様だったが、午前11時を過ぎたころからぞくぞくと観光バスが訪れ、正午には大変なにぎわいを見せていた。それでは観光中の皆さんに話を聞いてみよう。
婦人会のイベントで大和市から来た皆さんは「ラーメンは知らないわね。マグロが第一でしょ? 次は・・・ほかの海産物かしら」
「おなかいっぱい!」と大満足のご様子
「三崎に来たならマグロ食べなきゃダメよ! 第一! ナンバーワン!」と、横浜市から来たお姉さま方。12人に聞いてご存じの方はゼロ。どうやら「三崎まぐろラーメン」は、三浦市外にはそこまで浸透していないようだ。
B-1グランプリといえば「富士宮やきそば」や「甲府鳥もつ煮」などのご当地グルメが大々的に有名になったきっかけのイベントだ。「三崎まぐろラーメン」は2015(平成27)年に開催された第10回B-1グランプリで9位に入賞した経歴がありながら、なんとなくインパクトが薄く感じる。元気がないのでは? と言われてしまうのも分かる気が・・・。
B-1グランプリで殿堂入りした「富士宮やきそば」
そこで今回は「三崎まぐろラーメン」でB-1グランプリに出展している市民団体、「三崎まぐろラーメンズ」の監督である宮田英一(みやた・えいいち)さんに話を聞いた。
三崎まぐろラーメンってなに?
まず、「三崎まぐろラーメン」とは一体どのようなものを指すのか伺ってみた。
「“三崎まぐろラーメン”と認定されるには、“三崎まぐろラーメンズ”が制定したルールを守らないといけないんです。“マグロでとった出汁を使用すること”と、“トッピングにマグロを使用すること”が絶対的なルールですね。でも、トッピングに使うマグロをそぼろにしたり漬けにしたり、そういったアレンジはOKです」
まさにマグロづくし。それでは、このルールを作り出したきっかけはなんだろう?
写真中央右が宮田さんだ
「実は“三崎まぐろラーメン”、50年ほど前にすでに存在していたんですが、三浦市のマグロ漁獲量の変動から次第にメニューから消えて・・・提供する店が無くなり、ついに幻となってしまったんですよ。その幻を2007(平成19)年に復活させ、一定の味をクリアして提供できるようにルールを制定したのが“三崎まぐろラーメンズ”の前身にあたる、“三浦中華料理研究会”です」と宮田さん。
「三浦中華料理研究会」は、三浦市の中華料理店が情報共有のために2007年に発足した団体だ。「三崎まぐろラーメン」の復活は三浦中華料理研究会のみならず、三崎港にある日本料理店にも協力を仰ぎ、料理のジャンルを超えて鋭意工夫され、味は日々進化し続けているという。
「第三のグルメというのも、実は戦略のひとつでした。第一はマグロとして次は何? って、気になりますよね。ちなみに私が思う第二は・・・マグロの加工品かな」
三崎口駅前観光案内所のYさん、大正解のようです!
実は中華料理店が多い三崎港周辺
幻からの復活、進化し続ける味。話を聞くだけで興味を引くが、なぜ今「三崎まぐろラーメン」は「元気がない」と言われてしまったのだろう。
B-1入賞時の賞状がずらり(うらり産直センター内)
宮田さんは「きっかけは・・・2011(平成23)年の東日本大震災ですね」と続ける。
「2010(平成22)年に初めて“三崎まぐろラーメン”でB-1グランプリin厚木に出展して、第5位に入賞したんです。それからお客さんも以前より2~3割増えて、ラーメン目当てに行列ができるほどでした。でもその翌年、あの大震災がありました」
東日本大震災のあと、多くの漁港で活魚業者の撤退が続いた。また、マグロの国際的な漁獲規制も重なり、三崎港のマグロの水揚げ量は前年比21%減の2万5000トン。その影響を受け、「三崎まぐろラーメン」を使った三浦市のPR活動は一時難しい状況になったそうだ。
クレーンで釣り上げられる冷凍マグロ
「あの時は私も炊き出しのボランティアに向かったりと、被災地の復興が第一でしたから。一気に知名度が上がった2010~11年初頭をご存じの方は、今は元気がないなと感じるかもしれませんね」と、宮田さんは話してくれた。
三崎まぐろラーメンズ、誕生
「三崎まぐろラーメン」を復活させた、三浦中華料理研究会。しかし、今は「三崎まぐろラーメンズ」として活動しているのはなぜだろう? そこに至るまでの経緯を聞いてみた。
三崎まぐろラーメンズの皆さんと三浦市の吉田英男(よしだ・ひでお)市長
2011年、B-1グランプリを開催する「愛Bリーグ」から、「三浦料理研究会」という出展名の変更について打診があった。ここでひとつ説明すると、「B-1グランプリ」とは「“B”級グルメが集まるイベント」ではなく「地域“B”rand(ブランド)」のことで、営利を目的としたイベントではなく、ご当地グルメをきっかけにして地域のブランド性を高め、その地域に足を運んでもらうためイベントだ。
そのため「三浦中華料理研究会」も、あくまでボランティア、市民団体として町おこしに携わることを表意するため、2011年の末に「三崎まぐろラーメンズ」へと名称を変更した。
シルバーグランプリ受賞時
そしてここで「三崎まぐろラーメンズ」の監督・宮田さんが投稿にあった「福の家」の店主だということが発覚。同年11月に「福の家」を閉めて会社員へと転職したことにより、飲食店店主としてではなく三浦を愛する一市民として町おこしに携わることができるようになったため、「三崎まぐろラーメンズ」の監督に就任したとのこと。
「三崎まぐろラーメンズ」はあくまで市民によるボランティア団体なので、各イベントで「三崎まぐろラーメン」を提供するための費用などは、前イベント参加時の収益から捻出している。活動当初2~3年は三浦市からの補助金もあったが、多くはメンバーの持ち出しでまかなっていたそう。現在は人数も30名ほどに増え、これからも精力的に活動していく予定だとか。
「福の家」のあった場所は現在賃貸に。店の前は地平線を望める三浦海岸
宮田さんから熱い「地元愛」と「三崎まぐろラーメン」の話を聞くにつれ、腹の虫が騒ぎ出してきた筆者。
今回は、宮田さんがご存じの範囲内で古くから「三崎まぐろラーメン」を提供していたという「港楽亭(こうらくてい)」を教えていただき、伺うことに。