本牧にある「ちょっとすごい」手作りソーセージのお店に突撃!
ココがキニナル!
中区の本郷町にある肉屋に、ドイツで修行してマイスターになった人がいるとか。手作りソーセージがちょっと凄いとかで、気になります。(bjさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
ドイツ農業振興協会主催の国際品質競技会にて最高金賞を受賞したメッゲライ・スギヤマの杉山壮二さんが作るソーセージはかなり美味だった
ライター:細野 誠治
本牧の地で45年の凄い店、メッゲライ・スギヤマ
この世で一番美味い肉は豚肉! 細野誠治です。
中区本郷町(本牧)にある肉屋と聞いて、すぐにピンときました。
オレンジのサンシェードが目印、オレの青春の地
本郷町(本牧)と言えば若いころ、週末の夜に毎週のようにくり出して遊んでいました。そこで肉屋と言えば“メッゲライ・スギヤマ”しかないでしょう!
(以前、1000ぶらでも紹介しました!)
こちらが今回のキニナル舞台、メッゲライ・スギヤマ
夜遊び前の夕方、ここの総菜(弁当)を食べて以来、細野はここの店の大ファンです。投稿によると「ちょっと凄い」とありますがご冗談を・・・。
ト ン デ モ な く 凄 い っ て !
細野的には『横浜で一番美味いソーセージ』を出す店です(オレは横浜から出ないんで実質、世界一)。
はまれぽで紹介できて本当に幸せ、さっそくレポートしましょう(テンション上がるわ~)。
開店直後からこの人ごみ。場所は本牧リボンファンストリートの端
さまざまな種類、部位の肉がたくさん!
もちろん加工品(ウインナー、生ベーコン)も充実
煮豆! ムニエル! 蒸し鶏! 焼豚!
弁当だって買える(すごく安いよね!?)
まずは簡単な来歴を。
こちらの「メッゲライ・スギヤマ」杉山牛肉店はこの地で創業45年(メッゲライとはドイツ語で肉屋という意味)。
元々は戦後、井土ヶ谷で立ち上げられた精肉店が始まり。その後、岡村(磯子区)に出店し本店とする。本牧は支店だった。しかし創業者が引退し、店舗を本牧に絞ったそうだ。
そんなメッゲライ・スギヤマの凄さの秘密を探ってみよう。さっそく厨房へ。
店主の杉山壮二さん(写真左・41歳)と筆者(42歳)、独身!
凄さの秘密を取材させてもらおうと伺うと、何とソーセージ作りを体験させていただけることに(やった!)。
論より証拠、やってみて凄さを実感しよう。さっそく着替えることに。
前掛けをして、入念に手洗いを・・・
今回、作るのはデペリチィナーチョリソーというソーセージ。
タネの部分は杉山さんが作っておいてくれた
タネの重量は31.2kg。豚肉100パーセントに辛みの元であるカイエンペッパーが入っている。このままでは辛みが尖りすぎるのでシナモンを少々。(スギヤマでは使用する肉の種類や量、コンディションによって香辛料や調味料の分量を微調整している)
絞り出し機にタネを入れ・・・
塩漬けされていた羊の腸(羊腸)にタネを詰めていく
機械に羊腸をセット。ボタンを押せばタネが出てくる
杉山さんのお手本。羊腸にタネが、するすると入ってゆく
筆者も挑戦
均一な太さになるよう、つまんだ指の力加減を気をつけるのだが本当に難しい。
ニュルニュルニュルーッ! って勢いよく出てくるタネ肉がちゃんと羊腸に収まってくれない。凸凹したり、ひどいと羊腸が破裂してしまう。結果、ひどくゆっくりとした動作に・・・。
「夏なら腐ってるね・・・」と杉山さん。
お次はタネを入れた羊腸をソーセージに成形する作業。
ソーセージ1本分の長さの両端を、指の腹で押して肉を寄せる。押し出されて肉が無くなった部分を軸にして回転をかける。
お手本。クルクルッと回すとソーセージに
オレがやると回らない・・・
何とかゆっくりながら羊腸2本分(6メートル×2本の12メートル)のソーセージを完成させるオレ。
ソーセージって、こんなに手間ひまかかる大変なものだったのか・・・。
ここで杉山さんにバトンタッチ。
嘘みたいなスピードでソーセージが形成されてゆく
ドイツでの修行を経てマイスターに。そして殿堂入りへ
全然お手伝いできなくてグッタリな筆者。キビキビとした動作でソーセージを作る杉山さんに生い立ちやドイツでの修行時代、殿堂入りマイスターへの軌跡を聞いてみよう。
店内に飾られたマイスターの称号や、コンクールでの金賞受賞を讃える賞状
1973(昭和48)年生まれの杉山さんは今年で42歳。生粋のハマっ子。
「実は僕は、消防士になりたかったんですよ」と杉山さん。
「学生時代、ブラスバンドでフルートを演奏していて音楽隊に入りたかったのと当時、映画で『バックドラフト』という消防士を描いた映画があってロバード・デ・ニーロに憧れていたんで」
看板に描かれたイラストは壮二さんとギターを弾くお父さんがモチーフ
消防士に憧れていたものの実家が精肉店ということもあり、高校を卒業後、全国食肉学校(専門学校)に入学。1年後に卒業をし、そのままドイツへと渡ったそうだ。
「母が店でハムやソーセージなどの加工品を作っていた関係で、ツテを頼って(ドイツへ)行っちゃいましたね」
杉山さんのお母さんは、添加物の入っていない、安全安心な食べ物を作ってお客さまに提供したいと願っていたそうで、付き合いのあった香辛料の取引先の方が、杉山さんの師匠の弟弟子だと聞き、息子にドイツ行きを薦めたという。
杉山さんとお母さん、そして妹夫婦、パートさん1人で店を切り盛りしている
「英語もドイツ語もまったく分からずに勢いで行ってしまって、毎日殴られる上に給料も出なくって・・・」と杉山さん
それにしても凄い行動力だ・・・。そしてお母さまの食品に対する想い、熱量も凄い。
師匠のハンス・オットー・ブランデンブルグさんと
師匠の店で働き、師匠の家にホームステイ。言葉はハンス師匠の子どもたちと一緒になってドイツ語を習得したとか。
辛い修行を終えゲゼレ(修行を終えたことを表す卒業証書)をもらうまで3年半の月日がかかった。
(このゲゼレ、もらうまでに平均約3年かかるそうで、言葉の分からない杉山さんのことを考えると3年半という年月は驚異的!)
修行時代を語ってもらった
―修行を辞めたいとか、思いませんでした?
「最初のころは早く日本に帰りたかったですね。でも“(帰るまで)まだ、こんなに時間がある”と思っていたのが、いつの間にか“あと、これだけしか時間がない”って思うようになって。そのころですよね、この仕事を一生の仕事にしよう! って思えるようになって」
ゲゼレ取得のおりにくれた、忘れられない師匠の言葉があるそうだ
「真似を、するな。お前が、日本人の口に合うものを作らなければならない」
「伝統を守れ、ではない。食は日々、変化している。それに対応できるようにしろ。それが、幸せを生む」
格好いい。誇り高きドイツの職人の言葉だ
磨いた腕を引っさげ、杉山さんは帰国。25歳のとき。しかし本場ドイツの味は、日本人の味覚とは少し違っていたようだ。
「“あのころの味はマズくて食べられなかったね~”なんて常連さんに言われます」
ここで杉山さん、遅れてきた青春を取り戻すかのように趣味のフルートに熱を上げてしまう。社会人ブラスバンドに加入し、3つの音楽教室に通う日々・・・。
磨いた腕も、徐々に曇っていってしまったようだ。
そんなとき、ハンス師匠が弟子である杉山さんの様子に見に来日。
杉山さんの作ったソーセージを食べ、激昂してしまう。(師匠、激おこ!)
「何だ、これは!? 破門だっ! って言われてしまいまして・・・。必死に謝って許しを請うたんです。そのときに出た条件が2つで、まず“友人関係など、楽しいと思うことにはすべて縁を切ること”、そして“コンクールに出品しなさい”だったんです」
ここから杉山さんの、たった1人の戦いが始まる。
本牧からコンクールへ。世界最高峰のものを
市場に行き、目で見て触ってみて、実際に口にしてみて、本当にいい肉を探す。
(失敗をして、涙を流すほどに悔しいこともあったそうだ)
日本人の口に合う、本当に美味しいと思えるもの作りに邁進していったという。
そしてドイツ農業振興協会主催の国際品質競技会へ出品。結果は見事に賞を獲得。
ドイツの加工食肉製品は、味付けが濃い(塩味が強い)という。杉山さんは、日本人の口に合う味付けをしつつ、向こう(ドイツ)の人たちも納得をするものを作った。
歴代の賞状たち
「そのうちに、コンクールが楽しくなってきました」と杉山さん。
7回ものコンクール入賞を経て、ついには大会から「殿堂入り」の栄誉を受けた。
本場・ドイツで最高の栄誉を