横浜に旧日本軍の軍事施設跡は残っているの?
ココがキニナル!
横浜の旧日本軍の軍事施設跡残っているの?東京湾にはいっぱい要塞があった様ですが。(nagatoshiさん/浅田真央子さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
横浜市にも旧日本軍の施設がいくつか残っていた。戦争遺跡は地域の歴史や平和について考えるきっかけとなることから、保護活動が行われている。
ライター:吉澤 由美子
旧日本海軍連合艦隊総司令部地下壕
旧日本海軍連合艦隊総司令部地下壕は、日吉にある慶應義塾大学のキャンパスに残されている。
日吉周辺に存在した地下壕の地図 ※画像提供:日吉台地下壕保存の会
海軍の総司令部が内陸の地下壕にあったのは不思議だ。そのあたりの事情については、以前掲載された『日吉に地下壕が!?いったいどこにある?』を参照いただきたい。
総司令部地下壕の地図 ※画像提供:日吉台地下壕保存の会
キャンパス内のまむし谷という名前がついた場所に、地下壕への入口があった。
この奥に広い地下壕がある
入ってすぐに急な坂道。降り切った先から長い通路が伸びている。
かなり急勾配の坂
床には排水のための溝があり、染み出す地下水がそこを流れている。空気の循環もあって閉塞した地下空間という圧迫感はあまりない。
溝には蓋を載せるための段差があった
案内いただいた「日吉台地下壕保存の会」の喜田さんによると、設計がしっかりしており、地下水の排水が今も機能していることから、地下壕として保たれているとのこと。
通路は縦横につながり、現在地を把握するのはかなり難しい
壁は分厚いコンクリート。等間隔で壁に残る木材はケーブル敷設のためのもの。
釘が打てるよう取り付けられた木材
地下水で溶かされた分厚いコンコリートの炭酸カルシウムが木材を完全に覆った姿に時の流れを感じる
天井は木枠に使った木材の肌理が見て取れる。作戦室と電信室・暗号室には当時まだ普及していなかった蛍光灯がついていた。
蛍光灯を取り付けた板が天井に並ぶ
天井にいくつか、コンクリートの成分が地下水に溶かされてできたつらら石があった
今回は、慶應義塾大学OB・OGの方の見学会に同行させていただいた。OGの方は、「昔は地下壕が閉鎖されていなかったから、秘密のデートコースだったのよ」と教えてくださった。
大学敷地外からも侵入できたそう。壁にいくつか昔の落書きが残されている
地上にある大学の施設も海軍が使っていた。床暖房、水洗トイレ、展望風呂などを備えた寄宿舎は、その近代的で贅沢な設備から、長官以下幕僚、士官などの宿舎として利用されていた。
そのほか、モダン建築の第一校舎や高名な建築家ヴォーリズが作ったチャペルも情報部に使われていたらしい。
哲学者の鶴見俊輔は、若い頃、海軍の軍属としてこのチャペルで仕事をしていた
地下壕は堅牢に作られているが、総延長2600mと広くやはり危険。大学構内でもあり、広く一般公開はしないが、慶應義塾大学ではこの地下壕を今後も保存していくとのこと。
案内いただいた日吉台地下壕保存の会のみなさん
日吉台地下壕保存の会では、この場所を含めた地域を「平和を考えるピースロード」として紹介することで、街の歴史や平和への想いを伝えている。
弥生時代遺跡そばにある地下壕の耐弾式竪穴坑(たいだんしきたてあなこう/空気穴)
※画像は慶應義塾大学の特別な許可をいただいて撮影しています。