妙蓮寺にある、変わった名前の美容院「コンニャクヤ」って一体どんなところ?
ココがキニナル!
妙蓮寺の菊名池プール近くに「コンニャクヤ」という美容室があるらしいのです。カットも着付もすごいと聞いたのですが、恐れ多くて行けません。代わりに聞いてきてください(くにーさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
和田由紀子さんは、全日本美容技術選手権大会で優勝するなど、数々の受賞歴があり、神奈川県の卓越技能者としても表彰されたという実力者だった!!
ライター:藤井 涼子
本当にすごい人だった!
美容師になった和田さんは数々の賞に輝く。
お店の看板にもあった通り、1989(平成元)年の全日本美容技術選手権大会「花嫁化粧着付の部」で優勝。日本一の美容師なのだ。
各都道府県の予選で勝ち抜いた1名~2名の代表者だけが全日本大会に出場できる
ほかにも、1982(昭和57)年横浜市長賞(優秀技能者)、1997(平成9)年神奈川県知事 優秀技能者、2005(平成17)年神奈川県 卓越技能者(神奈川の名工)などの表彰歴があり「コンクールに出場すれば必ず入賞する」という実力の持ち主。
神奈川県卓越技能者賞の表彰状
輝かしい功績の裏では苦労が
そんな華やかな表舞台に立つ和田さんだが、裏では苦労も多かった。
もともとお母さんが始めた美容院であったが、和田さんが2代目となることはなかった。その後にお店を継いだのは義理のお姉さんで、和田さんはコンニャクヤ美容院の従業員として長く働いていたのだ。
和田さんは「自分のお店を持てない」という悔しさをバネにコンクールへの挑戦を始める。
家庭と美容院の仕事の合間に必死に練習していた。若いころは、旦那さんが表舞台に出て行くことを良く思っていなかったこともあり、コンクールにかかるたくさんの費用を生活費から工面するなどの苦労もあった。コンクールが終わると「家にお金が5千円しかない!」という時もあったそうだ。
1989年全日本美容技術選手権大会「花嫁化粧着付の部」で優勝したときの和田さん
全日本大会の優勝者は何店舗もの美容院を持つ美容師がほとんどのため、一従業員であった和田さんが出場して優勝したというケースは稀なようで、優勝者インタビューで「お店を何店舗持っていますか?」とマイクを向けられてとても恥ずかしかった、と笑って話してくれた。
10年間はテレビを見る時間などなく、「己に勝てない人は、人にも勝てない」という思いで、ひたすら努力していた。「基礎が裏打ちされていない技術は伸びないのよ」と今は笑って話しているが、当時は、きっと自由になる時間は多くなく、さらに専業主婦が多かった時代に、働く女性にとっては辛い事も多かっただろう。
和田さんが着付けと化粧をした花嫁。打掛は和田さんの手作り!
1992(平成4)年に義理のお姉さんが「コンニャクヤ美容院」を廃業すると一方的に決め、廃業届が出される。和田さんはその次の日に改めて営業許可書を取得。「お姉さんから美容院を買い取る」というかたちで、ついに念願叶ってコンニャクヤ美容院が自分のお店となった。
「母からお店は相続できなかったけれど、技術を相続したのよ」と穏やかに話してくれた和田さん。
このお店のオーナーになるまでには、苦労があり、そして、ずいぶんと時間がかかったのだ。
50周年記念式典の様子。こんな式典をできる人は一握りだろう
せっかくなので和田さんに髪を切ってもらえるか聞いてみたところ、快諾してくれた。