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平戸桜木沿いに突如現れる屋上の謎のドームの正体は?

ココがキニナル!

井土ヶ谷の平戸桜木通りの大きな交差点付近に天体観測ドームみたいな物がチラッと見えたのですが、実際あれは何なのか…取材お願いします(三葉虫 幼虫太郎)

はまれぽ調査結果!

屋上の大きなドームは、130年以上の歴史が詰まった横浜商業高校の「丸天井」。小さな交差点の傍の小さなドームは取材不可だった

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ライター:紀あさ

Y校の大きなドームの正体



後日、横浜市立横浜商業高等学校に取材に訪れた。
 


校舎内に飾られた校舎の絵
 

校長代理の小関雅弘(こせき・まさひろ)先生が、これまでのY校の歴史を交えて、ドームについての説明をしてくださった。

まず現在の校舎のドームの中についていうと、中には何もなく、らせん階段の上に空のドームがあるだけだそうだ。
 


現在の校舎は1984(昭和59)年から使われている
 

実はこのドーム、大正時代に作られた前校舎にあったドームのイメージを踏襲したそう。
 


卒業生が撮った前校舎の写真、前校舎は1926(大正15)年築
 

前校舎の作られたころはドーム型屋根がブームで、Y校以外にもドーム屋根の建築物は多く見られた。1903(明治36)年築の日本銀行大阪支店や、横浜三塔のひとつで1934(昭和9)年竣工の横浜税関などが同時代のドーム型屋根の建造物で今なお残る。
 


クイーンの愛称で親しまれる横浜税関
 

ここで再びY校の前校舎のドーム型屋根の写真をよく見てみる。
 


アップで見ると、ドームの下に小部屋があった様子が分かる
 

写真右下に「我が青春の丸天井」と書かれている。前校舎ではドームは「丸天井」と呼ばれ愛されており、その下に部屋もあった。昭和の時代の、ためらいなく青春と呼ばれた時間がゆっくりと流れていたのだろう。

現校舎への建て替え時に、Y校のシンボルである丸天井(ドーム型屋根)を受け継ぎたいという思いから、今のような形になったという。
 


青春の思い出を残したい・・・
 

続いて、2012(平成24)年に創立130年を迎えたY校の歴史を紐解いておこう。
 


歴史を感じるY校誌
 

130年を超える歴史の中で、校舎の位置も数回移転、建物も何度か建て直されている。
 


初代校舎は現在の開港記念会館の場所にあった町会所、1882(明治15)年に授業開始
 

2代目、新市庁舎建設予定地にあった北中通校舎
 

3代目校舎は1897(明治30)年、本町6丁目に建てられたが、広い敷地を求めて現在の場所に移転。その後、本町小学校の校舎として使われたが関東大震災で焼失した。
 


1905(明治38)年に現在の場所に移転してからの最初の校舎、清水耕地校舎
 


前校舎、1926(大正15)年築。ドームの姿が!
 

1984(昭和59)年から使われている現在のY校の航空写真
 

こうして1世紀以上の時を超えてきたY校。では実際に、現校舎のドームの下に行ってみよう。