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世界遺産候補である鎌倉の永福寺跡は、どこまで復元されるの?

ココがキニナル!

国の史跡で世界遺産候補になっている永福寺跡は、誰が所有管理しているの?国有地なんでしょうか?キニナル。再建計画の有無なども併せて取材してください。(にゃんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

永福寺跡周辺は国の指定史跡。45年かけ8割強まで鎌倉市が土地を買取り、国・県・市の出資で、来年には礎石復元、3年半後には池も復元される。

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ライター:吉岡 まちこ

永福寺は、幻の大寺院



永福寺(ようふくじ)跡の場所は、若宮通りを鶴岡八幡宮で突き当たった右手奥、鎌倉宮から瑞泉寺へ向かう道の左手。
 


永福寺跡は金沢街道の北側、山あいに開ける広大な平地だ


テニスコートの横の一帯は、「永福寺跡地」として4~5年前までこんな野原だった。
 


一面の荻(オギ)が兵どもが夢の跡という感じだった(2006年12月筆者撮影)
 

右手がテニスコート方向。2006年当時、柵で囲われた湿地帯だった


永福寺とは、鎌倉時代初期に鶴岡八幡宮、勝長寿院とともに源頼朝が建てた三大寺社の一つ。
討伐した奥州藤原氏のたたりを鎮護するために、平泉で見た中尊寺の二階大堂大長寿院(1337(建武4)年焼失)をモデルに建てたと言われる。

1966(昭和41)年、鎌倉時代を代表する遺跡がここにあるだろうとして、永福寺跡地とその周辺8万6000㎡もが国の史跡に指定された。山あいの寺だと、囲んでいる山々の尾根までが寺域だからだ。
 


国の史跡指定範囲はとてつもなく広い!今整備されているのは赤線内


鎌倉市は、永福寺を保存し後世に伝えるために、その翌年から土地の所有者だった鎌倉宮や民間から買取りを開始。100%の市有地化をめざし、現在8割強まで漕ぎつけている。

そして、1983(昭和58)年から15年間かけた発掘調査の成果により、壮麗な二層の本堂の両脇に阿弥陀堂と薬師堂を配置し、お堂の前には大きなひょうたん型の池が広がる大寺院の姿が浮かび上がって来た。
 


永福寺はこんなに美しかった!(鎌倉市教育委員会パンフレットより)


頼朝の居住地・大倉幕府から見て鬼門の方角に建てられた永福寺。鎌倉幕府の事績を記した歴史書『吾妻鏡』にも頼朝自ら庭石の位置を直すなど建設に熱心だったと記されたが、怨霊を封じ込める場だったからか、完成してからは疎遠だったという。

ここで蹴鞠や和歌を楽しんだのは、頼朝亡きあとの義家や実朝ら息子たちだった。しかし室町時代に炎上。再建されることはなかったという説が有力だ。
二階建ての本堂だったことから、「二階堂」という現在の地名にその栄華を残すのみとなり、発掘された遺跡もまた土の下に眠らされていた。
 


発掘をもとにしたCG(写真提供/鎌倉市教育委員会 CG制作/湘南工科大学)